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2019.05.19 07:00  週刊ポスト

興福寺貫首が指摘、「元気をもらう」という言い方はおかしい

興福寺の貫首・多川俊映師

 平城京遷都を主導した藤原不比等が建立し、今年創建1300年を迎える興福寺の貫首(最高位の僧)・多川俊映師(72)は、重要文化財の修復や中金堂の再建などに力を尽くし、「奈良に天平をよみがえらせた高僧」とも呼ばれる一方で、多くの人が説法を聞きに訪れることでも知られている。同寺には信徒以外にもお金や健康、孤独などさまざまな悩みを抱える人が訪れるが、多川師の法話を聞き、安心した表情で帰っていく。

 * * *
 会社であっても家庭であっても、歴史なくして成り立っているものはありません。親がいて、祖父母がいて、そしてまたその親がいて……という流れのなかに、今の自分はいるのです。

 高齢者の方であれば、お子さんだけでなく、お孫さんもいるかもしれません。自分は祖先から何を受け継いできて、それを子孫にどう渡さねばならないのか、そういう責任ある地点に立っているわけです。

 その歴史をバトンタッチするリレーのなかに立っている自分をよく自覚すること。それこそが、激動の時代のなかにあっても流されないコツなのです。

 つまり人間とは、社会や歴史のなかの、様々なつながりの上に生きている存在ですが、「己が何者なのか」ということに関しては、流されずにきちんとした自覚を持つ必要がある。

 たとえば最近よくテレビで、スポーツ選手の活躍を見たりして「元気をもらった」などと話す人がいますね。活躍に感銘を受けること自体は結構なことですが、「元気をもらう」という言い方はおかしい。いくら人から元気をもらったって、それは他人の元気であって自分の元気ではありません。

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