高倉健と長嶋茂雄に挟まれる吉野ママ
〈「吉野」の評判は口コミで広まり、前出のメンバー以外にも、坂本九、大原麗子、森進一、沢田研二など数多くの著名人たちが訪れる“秘密の社交場”となっていった。なかでも足繁くこの店に通っていたのが、俳優・高倉健だ。高倉と言えば酒を飲まないことで知られ、芸能人との交流も好まなかったと言われるが、その高倉が「吉野」の常連となっていたのだ。
吉野ママと高倉の出会いは東京オリンピック前年の1963年。店を贔屓にしていた俳優・中村錦之助が連れてきたという。〉
錦ちゃんが「連れが外の車で待っているから呼んできてくれ」と言うから迎えにいったけど、健さんは車も降りずに、仏頂面して帰っちゃった。初めてのゲイバーで抵抗があったのかも(笑い)。
〈再会したのは、高倉が主演を務める映画『網走番外地』の監督・石井輝男氏と一緒に来店するようになってからだ。その頃はまだぶっきらぼうだったというが、石井監督が吉野ママを一目で気に入り、その場でスカウト。同シリーズ4作目の「北海篇」(1965年公開)で、ゲイの囚人役として映画デビューすることになる。〉
冗談かと思っていたら、オファーされた翌々日には撮影だった。ぶっつけ本番だったけど一発OKだったわ(笑い)。
このロケの間は、健さんの部屋は旅館の「特別室」だった。その隣がなぜか私の部屋だったの。健さん、寝起きが悪いのよ。朝になると、スタッフに「およしさん、お願います!」と頼まれて、私が毎日、健さんを起こす係になっていた。特別室では、夜になると、一緒にレコードをかけてゴーゴーを踊るの。健さん、踊りは不器用だったわね(笑い)。そうやって一緒に過ごすうちにだんだん親しくなっていったのよね。