まだ日本中が今よりずっと暗かった時代。日が落ちる少し前から山影が黒く浮かび、いよいよ日没になるとあたり一面、漆黒の闇。聞こえてくるのは野犬の鳴き声くらいで、深夜遅く、人の話し声が聞こえたりすると「何事だ?」と、母親の顔に緊張が走った。
すでに「人身売買」の時代ではなかったけれど、「人さらい」はいると思っていた。イメージは、町の縁日に外からやって来たサーカス団やテキヤのお兄さん。
知らない男はみな、人さらいに見えて恐ろしかった。
茨城県の山麓に抱かれた城下町で生まれた私の子供時代は、『日本昔ばなし』そのもの。童話『桃太郎』に、「おばあさんは川に洗濯に行き、お爺さんは山に柴刈りに」とあるが、3、4才の私は、明治25年生まれの祖母の着物のすそをつかんで、裏の川に洗濯に行った覚えがある。
若い母親は木製の小さなハシゴを背負って山に行き、背丈より高く小枝を積んで帰ってきた。
女の子は全員、オカッパ頭。冬は綿入れを着て、足元は下駄か運動靴か。昭和35年くらいまでに地方で生まれた人は、同じようなものだったのではないか。
『はないちもんめ』は小学校低学年までの遊びだ。
私の育った集落には、同級生の女の子が6人いて、朝は集団登校のために集まる広場で。放課後は農家の友達の家の庭で、道具もいらないし、ちょうどいい遊びだった。
そこに上級生や下級生が仲間に加わって長くなった列でする『はないちもんめ』は、たちまち華やかな遊びになった。
だけどそのうち、この遊びがイヤになってきた。「〇〇ちゃんがほしい」の「〇〇ちゃん」に真っ先に選ばれる子と、そうでない子はいつもいっしょなんだもの。
小さな集団の中での人気者の取り合いで、それを歌いながらする。面白くない。
そんなある日のこと。「はないちもんめ、やだ」と人気最下位の私が思い切って言うと、意外なことに人気ナンバー1の子が「そうだね。やめよ」と賛同した。
取り合われる人気者も、残りものになる者も、同じくらいイヤな思いをしているんだなと気づいたのは、その時が初めてだったと思う。
※女性セブン2019年9月26日・10月3日号