長野県小諸市の高峰高原には何度もドライブした
《とうとう…恐れていた日がきてしまいました。もっともっと元気であなたと一緒に楽しみたかったのに、やはり、がんは私の身体の中で大きくなっていたのですね。もしあなたがいない時間に私が死んでも、決して後悔しないでくださいね。あなたとかかわってきたそれまでの時間が大事なのだから。突然何があっても、私は、あなたに感謝し、ずっと愛して、幸せですからね》
《無事に70才を迎えることができました。家族がいたから、ここまでこられたのだと感謝でいっぱいです。もしかしたら、もっと生きられるかも…なんて思うと、何かあった時の衝撃が大きい…と思うと、こわくて口にできません》
──2018年1月19日の午前2時。
病院のベッドで、容子さんの息が少しずつ細く、短くなっていった。心電図モニターはつけなかった。容子さんの希望もあって、延命治療はしなかった。英司さんは容子さんの手を握り、何度も名前を呼びかけた。
病室に2人の息子も駆けつけ、家族が一室に揃った。容子さんはまるで眠っているようだった。容子さんの体が静かに動かなくなってからも2時間ほど、みんなで過ごした。午前5時、担当医から「ご臨終です」と告げられた。部屋が少しずつ明るくなってきた。
写真提供/宮本英司さん
※女性セブン2019年11月7・14日号