コツコツと決められたことをこなすことが苦でない君野さんに司書の仕事は合っていた。接客といってもペコペコ頭を下げるわけでもなく、営業活動もノルマもないルーティーンはプライドの高い君野さん向きだろう。ただし正規職員なら。
「いつまでも正規職員にはなれず、時給もほとんど上がりません。仕事そのものは正規職員と変わらないのにボーナスもなく、ずっと嘱託のままです」
公務員試験を経て配属される正規職員はもちろん年下だ。いまやベテラン扱いの君野さんだが、いつの間にか40歳過ぎの非正規おじさんになってしまった。とくにその中の一人が気に入らないらしい。
「そいつ、聞いたこともない私大出なんですよ。昔と違って競争率も低いし枠も広い。時代が違うだけでこんな目に遭うなんて理不尽過ぎます。私は不安定で低収入のまま結婚も出来ず、年老いた母と生まれたときから住んでる団地暮らしのまま。いい高校、いい大学を出てるのに」
もうカウンターに突っ伏して酩酊状態だ。久しぶりの東京、他人に愚痴る開放感も手伝ったのだろう。君野さんは地元のショッピングモールで小中学時代にいじめられたヤンキーやバカにしていた三流私大卒の同級生が子供連れで楽しそうに歩く姿、フードコートで食事をする姿がたまらなく嫌だという。声をかけられた時には知らんぷりして逃げたそうだ。そんなことも手伝って休日はもっぱら団地の自分の部屋に閉じこもり、一日中ネット三昧だという。
匿名掲示板の創世記から低学歴を叩き、質問サイトで私大を貶めて味噌もクソも国公立を勧め、早稲田より国公立と強弁して10ウン年、相対的かつ競争、勝ち負けでしか幸せを感じることの出来ない君野さん、かわいそうだがこのまま年老いて、最後は一人ぼっちかもしれない。
だが今なら間に合う。君野さんには幸いにして母親がいる。これまで無償の愛を与え続けてくれた母親だ。毒親も多い中、これほど母親に愛されている、関係の深い君野さんは幸せだ。その小さくとも絶対的な幸せに気づくことが出来るならば、君野さんはまだ変われる。君野さんなりの幸福を獲得することができる。大の男がいい年して母親なんてと思うなかれ、母親を自慢できるなんてむしろかっこいいじゃないか。その気づきを大切にできるなら、その先に新たな、君野さんにとっての大切な他者も現れるだろう。相対的ではない、身近な絶対的幸福に気づくことこそ、私たち世代を救う道筋なのだから。
●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年9月、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。