マスコミ嫌いで知られる中村喜四郎衆議院議員
◆「選挙も、政治も、人生のすべて」
前述したように、私は中村が刑期を終えて出所した後の2005年総選挙から中村を追い続けてきた。当初は遊説先の情報も一切知らされなかった。手がかりもないまま車で茨城7区を走り回り、バイクで疾走する中村を探し出しては何度も接触を試みた。
報道陣お断りの個人演説会で門前払いされた時には、変装した上で並ぶ列を変えて会場に潜り込んだ。超満員の支援者に囲まれて中村と握手をし、刑務所話で笑いも取る中村の演説に聞き入った。東京から茨城の集会に行き、中村を待ち伏せたこともあった。中村は支援者に対しては白い歯を見せて笑っていたが、私が記者であると認識した途端に口を真一文字に結んだ。
茨城県内の出初式で声をかけた時は、一切質問に答えず無言で立ち去った。車に乗り込む前に黙礼はしても一言も発しない。まさに「完全黙秘の男」。支援者に手を振るために車の窓を開けたとしても、私の問いかけには答えなかった。選挙の演説はしても記者対応は一切しない。それが中村喜四郎という男だった。
もちろん私は折に触れて、直接、間接のルートで取材依頼をしてきた。田中角栄事務所の秘書時代から中村を知る人物や、つながりのある人物に頼んだこともあった。しかし、私の目論見はいずれも空振りに終わった。
信じられないかもしれないが、中村が私の質問に直接答えるようになるまでには、実に9年もの歳月がかかっている。しかも、その機会は選挙の時に限られた。本人への直撃やぶら下がり取材に成功したとしても、すべて立ち話や歩きながらの対応だった。
恥を忍んで告白するが、私は中村を椅子に座らせて話を聞くことが一度もできていない。もう15年も取材を続けているのに、だ。
一方の常井は険しい氷壁を登り切った。私ががむしゃらに頂上を目指したのとは対称的に、周到な準備と慎重なルート選びで中村という「未踏峰」を駆け登った。