唯一の書だからといって読者が構える必要は全くない。本書は政治の予備知識がない人でも一気に最後まで興味深く読める。それは中村の人生が波乱万丈で抜群に面白いのと同時に、現在進行形の政治家でもあるからだ。これぞノンフィクションの醍醐味だろう。
人間には、時代に追いつきたいという願望がある。だからこそ、一度扉を開けばページを繰る手が止まらなくなる。そして読了後には、過去と現在、未来がすんなりつながっていく心地よさを覚えることになる。
これは複眼的視座を持つ常井の筆力に負うところが大きい。常井は日本の政治史を俯瞰して書き遺しながら、つねに現場に軸足を置く書き手だからだ。
常井の文章は決して「上から目線」のルポにはならない。読者の眼前に現場の土の匂いが立ちのぼるような風景を出現させる。
読者の視線は常井の視線。常井の疑問は読者の疑問。これは中村が支持者の思いを代弁する時に発した「同等意識」にも通じる。1年6カ月におよぶインタビューと密着取材の場において、常井が決して中村に飲み込まれずに対峙し、真剣勝負を続けてこられた理由がここにある。
本書は政治や中村との関わりが薄い読者には「こんな面白い政治家がいたのか」という驚きを与える。玄人目線を持つ読者には「そんな裏話があったのか」という重大な証言を提示する。常井が紡ぐ中村家三代の物語には、幾重にも重なる味わい深い事実の地層が並走している。
◆「ウレシー!」と「チクショー!」が同時に押し寄せた
ここで正直に告白したい。私は本書の著者である常井健一に、ライターとして三度殺されかけている。
一度目は2014年7月、常井が中村の単独取材をものにした時だった。二度目は2018年6月、常井が中村の独占手記を手がけて『文藝春秋』に発表した時だった。そして三度目が2019年12月、常井が中村喜四郎という「未踏峰」の登頂を宣言し、『無敗の男 中村喜四郎 全告白』の出版を明らかにした時だった。
私は常井のめざましい活躍を前に、自分のライターとしての死を覚悟した。