「私は今回の事件を、日産のクーデターに検察が加担した無理筋の事件だと考えており、それについてゴーン氏本人の話を聞き、客観的な視点からの論評を加えて著書にしたいと話したところ、協力してくれました。10月から5回にわたり、計10時間以上インタビューし、事件のこと、日産のことについて聞きました。
最後が12月27日の午後、この日は再逮捕や勾留延長について、ゴーン氏の受け止めを聞きました。事件や日産のことについて雄弁に語ってくれていたのとは違い、言葉が少なかった。今考えれば、その後のことで頭がいっぱいだったのかもしれません。
年明けにもインタビューする予定でいたので、出国を知ったときは信じられず、全身から力が抜ける思いでした。しかし、こうなった以上、日本国内で、刑事司法について客観的に問題を指摘できるのは自分しかいないと思い直しました。ゴーン氏とは1月13日にようやく連絡が取れて、『今まで話したことは、どう使ってもらっても構わない』と言ってもらいました」
ゴーン氏は出国の直前まで、こうした法のプロフェッショナルたちの協力を仰ぎ、裁判で戦うための準備を進めていた。しかし、彼はそのすべてを捨てて、出国した。
「今回の出国計画については、逮捕後に寄り添ってきた娘たちすら知らなかったようなので、子煩悩で知られるゴーン氏としては相当な覚悟を持った行動のはず」(ゴーン氏の関係者)
※週刊ポスト2020年1月31日号