五月みどりは1939年生まれ、東京都出身。1958年『お座敷ロック』で歌手デビュー。1961年『おひまなら来てね』が大ヒットし、翌年のNHK紅白歌合戦に出場を果たす。1975年、ロマンポルノに主演して話題になり、現在も歌や演技のほか、書道や絵画、着物デザインといった分野で活躍している。
「私が初めて脱いだのは、たしか70年代の半ば頃だったかしら。当時は、離婚して子供と離ればなれになってしまった寂しさもありましたけれど、それが脱いだ理由になったわけではないんです。
初めてのヌードは、週刊誌の撮影でした。少しずつ衣装を脱いでいくような、セクシーな内容のものです。最後にはシースルー1枚になってしまって、『もう何だか、脱いじゃったほうがいいかしら?』って私から提案したんです(笑い)。人は誰でもスッポンポンで生まれてくるのだから、裸になることをそこまで特別視することなんてないのにね、と思っています」(五月)
◆ヌードは恩人
鹿沼えりは1952年生まれ、東京都出身。高校在学中にスカウトされ、15歳でモデルに。ドラマや映画などにも活躍の場を広げ、週刊プレイボーイでヌードを披露したのをきっかけに日活ロマンポルノ『時には娼婦のように』に抜擢。その後、日活を代表するポルノ女優として一世を風靡した。
「私自身は、服を着ているほうがキレイに見えると思っているんです。そんな私が脱いだのは、表情やポーズなど、私が素敵だと思える感性を共有できるカメラマンにお願いされたから。女にとって裸になるのは価値を売ることですから、信頼の置ける人と仕事をするのは当然のことです。
私の芸能生活において、そんなカメラマンは何人もいません。渡辺達生さんは私が裸になれる、信頼できる数少ないカメラマンの一人でした。雑誌のヌードをきっかけに、日活ロマンポルノという新しい世界を見ることができましたし、私にとってヌードは恩人みたいなものですね」(鹿沼)