では、日本語はどうか。小池知事は措くとして、安倍首相の国語力は高校生以下だ。『AERA』昨年五月二十日号は、同四月三十日の先帝「退位礼正殿の儀」での安倍大失言を報じている。
「両陛下には末永くお健やかであらせられますことを願っていません」
戦前なら政権崩壊だ。緊張のあまり舌がもつれたというわけではない。「国民代表の辞」を読んでの失態である。否、読めなかったのだ。当然、文書には「願って已みません」とあった。文書を作成した高級官僚は、真逆ここに振り仮名が必要だとは思わなかったのだろう。「真逆(まさか)」なら必要かもしれないが。ああ、已(や)んぬるかな。
己・已・巳の違いは高校までに習う。「已」は「すでに」「やむ」と訓(よ)む。音(おん)なら「い」。已然形(いぜんけい)の「い」だ。むしろ「い」と読めただけエラいので、安倍首相には部分点を進呈したくなる。
カタカナ語濫用の根底には、英語や仏・独語は高級な言語で日本語は劣った言語だという卑屈で歪んだ欧米崇拝意識がある。差別語認定された言葉をカタカナ語に言い換えるのは、その好例である。差別語認定されたらその愚を徹底的に批判してやるのが本筋だろう。同じ意味の英語に言い換えて「良い言葉でしょ」と得意がっても何の意味もない。