生活必需品となったスマホを手放せないから、SNSもやめられない
幸い、うちのコールセンターは時短のみでコロナの最中も強行したのでお金に困ることはありませんでした。時給がいいし教師になるまでは続けたいですからね」
そんな素晴らしい目標を持ったチューミンさんは、SNSと「あの女」から離れようとは思っている。
「時短になって、時間が出来て、SNSに張り付く時間が増えちょっとヤバいな、と思い始めたんです。勉強もし直さないといけませんし、あの女が昔ほど人気でもなくなったんで、だんだんかわいそうだなとも思えてきたんで。なのにやめられないんです。本当はやめたいんですよ?」
◆私はあそこまで追い詰めていない
やめたいのにやめられない。なぜならその対象は元気に活躍しているからということか。私は思い切ってチューミンさんに例の事件、誹謗中傷により失われた命について聞いてみた。
「あれは本当にひどいと思います。私はあそこまで追い詰めてませんし、死んだ女の子はかわいそうだと思います。あんな風にみんなで追い詰めるのは許せません。逮捕して欲しいくらい。でも何の罪もない彼女とあの女は違います。あの女はいまも事件を利用して訴訟するとかツイートしてるんです。どこまでも汚い女です」
やめたいのにやめられない。責められる方はもちろん、責めるほうも一皮むけば地獄、どんな話も「あの女」に帰結してしまう。パソコンなら一昔前のネタ「回線切って窓から放り投げろ」、とにかくネットを断てというところだが、もはやスマホは生活に欠かせない道具となっている。ソシャゲ中毒者に対する荒療治のようにガラケーに戻す手もあるが、4Gガラケーに変えてもSNSは出来てしまう。
「あの女がいなくなれば、やめられるのに」
私はドキッとした。もう私ごときが根掘り葉掘りしてはいけないような気がした。とにかくチューミンさんは小学校の先生を目指して、たくさんの子どもたちに慕われるという自分の幸せを第一に考えて欲しい。そもそも「あの女」なんてチューミンさんと一切関係ない赤の他人だ。幸せは比べるものじゃない。自分が幸せならそれでいいじゃないか。相対的な幸福ではなく、絶対的な幸福を得ることが、中高年となった団塊ジュニアの老い先には必要だ。競争や蹴落としではない、自分だけの幸せだ。そこには決して他者、まして赤の他人など介在してはならないし、そんな関わりのない「あの女」にそれを阻まれたら、それはそれで悔しいじゃないか。いますぐ忘れるべきだ。