日産のPRスタッフを務める「ミスフェアレディ」(同社HPより)
コロナ禍やCASE(コネクティビティ、自動運転、シェアリングエコノミー、電動化)対応など多くの変化がいっぺんに押し寄せている自動車業界が今後、どう変化するかは未知数。内田社長は会見で、「どのような環境の中でも常に人を中心に見据え、楽しさを提供していく」と日産のイメージを語っていた。
すでに大規模なリストラが進行中の日産においてフェアレディZのようなモデルを残すという判断を下したのは、日産が個人の喜びにかかわるパーソナルモビリティの分野をこれからも大事にしていくのだと、世間だけでなく社内にも示そうとしてのことと考えられる。
日産の歴史の中で、フェアレディの名は元プリンス自動車(1966年に日産に吸収合併)の「スカイライン」と並び、最も長きにわたって使われてきた車名だ。小型オープンスポーツである「ダットサン・フェアレディ」が発売されたのは1960年で、今年はちょうど60周年にあたる。
ラリー仕様の初代フェアレディ(S30型)
フェアレディZの第1世代が登場したのは1969年。オープンからクローズドボディに変わり、より高性能を目指したモデルだったが、フェアレディの生みの親でアメリカの自動車殿堂入りを果たした“ミスターK”こと故・片山豊氏の精力的なセールスもあって、庶民向けスポーツカーとしてアメリカで大ヒットとなった。
その後、モデルチェンジのたびにTバールーフ(頭上のルーフパネルを取り外し式にしたもの)、ターボエンジンなどの新技術を積極投入し、主にアメリカで大いに存在感を上げていったが、そのアメリカでスポーツカーの自動車保険が大幅値上げされたことでスポーツカー市場が打撃を受け失速。2000年でいったんその歴史が途切れることになる。
そのフェアレディZを復活させることを決めたのは、ルノーからCEOとして送り込まれてきたカルロス・ゴーン元会長だった。スカイラインや高級セダン『フーガ』などと共通のプラットフォームを使い、少量生産モデルの宿命である高コストを最小限に抑えるという手法ではあったが、2002年に2年のブランクで再登場。2008年に現行モデルにフルモデルチェンジされ、現在に至る。
エコカーが自動車市場を席巻している現状では、一部のファンを除き、現行フェアレディZがどういうクルマか即座に思い浮かべるのも難しいというのが普通であろう。それだけイメージが希薄化してしまったのだが、途中2年のブランクを差し引いても58年もの長きにわたって名を継承してきたスポーツカーは日本ではフェアレディZだけだ。