「みんな持ちつ持たれつね。下町気質のお客さんが多いので、和気あいあいと飲んでくれるのが何より嬉しいよね」と笑顔で話す芳枝さんだが、片時も手を止めずてきぱきと働いている。
よく見ると、冷蔵庫の中の酒の缶やびんには付箋がたくさんついていて、まるで花が咲いているよう。
「お客さん同士でお酒を奢ったり奢られたりするときに、そのお酒に名前を書いて付箋で貼っておくんですよ。みなさん気風がいいんです」(芳枝さん)
人気の酒は、“贈り主”と“贈られた人”の名前が書かれた付箋の数も多い。
角打ち台の奥で乾きものをつまみにちびちびと飲んでいた白髪の紳士が、店の中をキビキビと動き回る芳枝さんを見て、
「この人は運動神経抜群なの。昔はママさんバレーのエースアタッカーだったからね」(60代、製造業)と教えてくれた。
ときどき羽目を外しすぎる客に「ほら、飲みすぎよっ!」と、ぴしゃりとアタックも決めるという。 “棘のある”といわれる由縁だ。
するとそこへ「男は黙って飲むもんだ」と、生まれも育ちも葛飾堀切だという70代の自称お祭り男氏が参戦。
「ここには50年通ってる、おれの大事な憩いの場。先代とは神輿担いだ仲だからよぉ」と威勢がいい。毎年夏にはこの店の先代の店主と、万燈神輿(まんとうみこし)を担いで堀切の商店街を練り歩いていたのだとか。
そんな下町情緒溢れるこの店の昭和の香りが染みついた壁には、「昔っから美術は5だった」というお祭り男氏が描いたという鶏のペン画や、常連客が描いた風景画、「春夏冬 一斗二升五合」という墨文字の“格言”も飾られている。
「春夏冬 一斗二升五合」
「春夏冬」は、秋がないから「あきない=商い」
「一斗」は、五升の倍で「ごしょうばい=御商売」
「二升」は、升が2つで「ますます=益々」
「五合」は、一升の半分だから「はんじょう=繁盛」
金子酒店の「商売が繁盛するように」と、かつての常連客が書いたものだと、将棋に興じる客が教えてくれた。
「この将棋盤はね、先代が作ったものなの。ずっとお客さんが大事に使ってくれています」と芳枝さん。ときどきこっそり油性ペンで升目をなぞって手入れしている年季の入った盤を囲み、そろそろ対局は大詰めのようだ。
「ここでのんびり飲みながら将棋を打つのがおれの幸せ。相手が酔っていると勝てるしナァ」(70代、元タクシー運転手)とご機嫌に語るも、対戦相手がすかさず「王手!」を宣言したのはご愛嬌。
互いに笑いながら、グイっとうまそうに飲み干したのは、焼酎ハイボールだ。
「後味がなんともキリッとしていいのよ。“春夏冬”だ。何本飲んでも“あき(秋)”ない味だね、いひひ。ドライかレモンか、1本ご馳走するよ」(70代、製造業)
冷蔵庫でキンキンに冷えた焼酎ハイボールには、付箋の花びらがまた1枚…。下町の明るく愉快な酔客たちの笑顔は365日満開のようだ。(※2020年3月17日取材)