戦中戦後に培われた老いてもうせない好奇心
1934年、東京の下町生まれの母は、終戦のとき11才。姉弟9人と両親の大家族だったが、終戦前年から群馬の温泉地に学童疎開。東京大空襲は免れたが、家族と離れ離れの地で終戦を迎えた。
疎開先だった温泉旅館や近くにあった湖の名前まではっきり覚えているのに「毎日先生たちと食料を探して歩いて、食べられたのはおいもばかり」という話以外は、あまり多くを語らない。きっと相当に寂しかったに違いない。
それでも疎開から帰ってきてぐるりと見渡した東京の街は、「なーんにもなくなっていたのよ」と、ちょっと晴れ晴れした笑顔で言うのだ。
何もないところから始まり、どんどん街が復興して便利になっていくのを生活者として目の当たりにしたのは、さぞワクワクしただろう。認知症になっても、街中でキョロキョロとおもしろがる好奇心とバイタリティーは、ここで培われたのかもしれない。
そう思えば、ティッシュの箱を探せずにトイレットペーパーを内側から引っ張り出して使うのも「まあいいか」と。そして若き日々の話をもっと聞いてみたいと思うのだ。
※女性セブン2020年9月3日号