障害者と一括りにしがちだが、みな違った特徴があり、それぞれの身体的な制限の中で自分に合った技術を創造してもいる。腕に障害をもつ卓球やテニスの選手の中には、足を使ってサーブのトスアップをしている者もいる。
考えてみれば、制限だらけなのがスポーツだ。サッカーはボールを手で扱えないし、ラグビーはボールを前に投げられない。そうした制限が大きいのがパラスポーツだといえる。
一方で、すでに車いすバスケットや車いすラグビー、ブラインドサッカーでは、健常者が車いすに乗ったり、アイマスクをしたりすることで障害者と一緒にプレーしている。道具を使って身体機能を一部制限することで、誰もがフェアに競えるようしているわけだ。
突き詰めていけば、障害者の「障害」は単なる身体的な特徴のひとつと捉えることもできるかもしれない。そうなると、「パラスポーツ」という呼び方自体があまり意味のないものに思えてくる。
選手のパフォーマンスかストーリーか、それとも道具か。どこを切り口にして観るかで、来年の2020パラリンピック東京大会は、まったく違った姿で見る者の前に現れるに違いない。
●取材・文/岸川貴文(フリーライター)