出前館会長の中村利江氏
──入社1年目にしてセールスでMVP賞を受賞したとか。
中村:当時、リクルートの新入社員の年俸は300万円ぐらいでしたが、インセンティブ(成功報酬)がすごく高かったので、1年目の年俸は700万円を超えました。
それでも、翌1989年には退職しました。入社して2年目に結婚、妊娠したんです。当時は産休・育休制度などが現在ほど整備されていなかったので、残念でしたが辞める以外に選択肢がありませんでした。
──1998年からはハークスレイ(「ほっかほっか亭」などのフランチャイズ統括会社)に勤務されます。
中村:私、常に働いていないとダメなタイプなんです(笑い)。高岡市(富山県)にある実家が工務店を経営していたこともあって、インテリアコーディネーターの資格を取り、しばらくは子育てをしながら家業の手伝いをしていました。
その後、フルタイムで働けるようになった頃、1997年に株式上場したばかりのハークスレイに入社したんです。もともと食に関わる業種には興味がありましたし、当時は調理された食品をテイクアウトや配達によって家庭で食べる「中食」という形態が注目され始め、家庭での食事作り代行を意味する「ホーム・ミール・リプレイスメント」という概念も盛んに喧伝されていた。それでハークスレイに将来性を感じたんです。
──入社後はどのような仕事を?
中村:店舗の販促をサポートする営業企画室に配属になりました。出社初日に制服を手渡されたんですが、私は背が高いのでサイズの合う制服がないんです。なので、制服を着たくなかった。「どうしたら制服を着なくて良くなるのですか?」と聞いたら「管理職になれ」と。
そこで、チラシの制作プロセスを徹底的に研究して年間経費を億単位で削減することができました。それで半年後にマーケティング部の管理職に昇進したんです。