その患者の意思も、常に変わることを考慮しなければならない。安楽死が認められているオランダでも、人間の心は変わるというのが前提になっている。だから何回も意思が確認される。
なのに、この事件では、主治医でもない医師がたった10分の面会で、薬物投与して殺害した。事前にSNSでやりとりがあったというが、意思の確認が十分であったとは言いがたい。
ぼくがこの女性の主治医だったらどう考えるだろうか。この女性にとってつらいのは、「生きる意味」を見出せなかったことではないかと考えて、心のケアに力を尽くすだろう。いや、生きる意味なんてたいそうなものでなくても、ほんのちょっと楽しい時間を増やすことができたら、状況は変わったはず。小さな喜びがあれば、死にたいと思う時間も少しずつ減っていくかもしれないからだ。
この女性には、主治医を中心にケアマネジャーや訪問看護師など30人のチームが24時間体制でケアに当たっていた。「生きる意味」「小さな喜び」を含めた精神的ケアはこれからというときに、患者の命が奪われた。チームのメンバーはさぞ残念な思いであったであろう。
この事件とは別に、今後、安楽死の議論が始まったときには、こうした生に向けたケアとセットで語られるといいなと思う。
●鎌田實(かまた・みのる)/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。著書に、『人間の値打ち』『忖度バカ』など多数。
※週刊ポスト2020年10月2日号