「判断留保箱」の大切さ

江川:私は今、神奈川大学特任教授としてメディアリテラシーの科目を教えています。そこで学生に強調するのは、頭の中に判断留保箱を作りましょうということです。賛成か反対かのどちらかでは決められない、あるいは本当かどうか分からない、という事象に直面したら、いったん判断留保箱に入れておく。それで時々取り出してみて、これはどうかな?と考えてみましょう、ということを伝えています。

石戸:判断留保箱、いいですね。江川さんの共著『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』は、まさにその判断留保箱の実践の書だと思います。非常に高名な国際法学者で、慰安婦問題をはじめとする歴史認識の問題に取り組まれていた大沼保昭さんの聞き書きを江川さんが担当されました。

 大沼さんは2018年に亡くなられた。僕は大沼さんにお目にかかったことはありませんでしたが、ものすごく尊敬しているのは、副題に「対立の構図を超えて」とある通り、政治的な立場を超えて色々な方と直接対話し、議論し、その意見を取り込みながら現実的な解決策を模索されていたことです。江川さんから見て、大沼さんはどんな方だったんですか。

江川:大沼さんは、国際法がご専門ですが、戦後責任の問題について研究されていました。研究室にこもるのではなく、市民運動にも関わる実践派でもありました。慰安婦問題だけでなく、サハリン棄民――サハリンに置き去りにされた朝鮮半島出身者――が祖国に帰ることを支援したりしておられました。この本を作るにあたって、自分が研究者として専門でない分野については、思想的な左右を問わずに歴史などの専門家に原稿を読んでもらって、事実関係をチェックされていた。学者として非常に誠実で、緻密なお仕事をされる方でした。

 そんな大沼さんがおっしゃっていた事で印象に残っていることの1つは、国際条約というのは、どちらの国も両方とも不満が残るような条約が最も良い条約というお話です。それは人間関係でも同じで、対立する双方が不満なのが一番良い解決策ということで、ご家族でも実践されていたそうです。

石戸:なるほど。普通は双方が満足するほうが良いと思いがちですよね。

江川:ええ。しかし、双方が満足することは非常に難しい。価値観が違い、対立していて、利益も違ったら尚更ですが、両方とも満足はできない。片方だけが満足するのは、もっとよくない。だから、互いに不満な条約がちょうど良いというわけです。それから、大沼さんがもう1つよくおっしゃっていたのは、「大部分の人は俗人である」ということです。良いこともするけど、悪いこともする人が大半で、極悪人や聖人はほんのわずか。だから、相手に聖人のような行動は求めてはいけない。

石戸:SNSの時代に非常に示唆的なお言葉ですね。

※8月22日に収録した対談を再構成しました。

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