ワイドショーの責任
石戸:百田さんの読者に取材した時に、「言いにくいことでもズバッと言っている。それがいい」という声を聴きました。これは象徴的な意見だと思いました。しかし、SNSでも何かをズバッと批判する人のほうが支持を集める風潮がありますが、ズバッと批判してスッキリしたとしても何も解決しないわけです。
江川:世の中には絶対悪も絶対善もそうそうなく、1つの出来事についても、複数の要素について考え合わせなければならないことが多い。コロナがまさにそうですが、あちらを立てればこちらが立たず、といったことがあります。「悪者はコイツだ」「こうすればすべてよくなる」式のシンプルな極論では、多くのことは片付かない。それを極論で片づけようとするから、世の中がこう着状態になってしまう面があると感じます。
その原因も何か1つに求めることはできませんが、私は、これはテレビの責任はかなり大きいと思います。なぜかというと、テレビは分かりやすいことが一番大事になってしまっているんですね。ニュースでは複雑な事象を扱っていることが多いわけですが、それを分かりやすく伝えようすれば、どんどんシンプルになっている。ワイドショーではさらに分かりやすく、さらに楽しく、そして面白く、となるわけですね。そうすると、やはりズバッと言ってくれる人がウケることになる。
石戸:そうですね。本来は、ズバッと言うこと=分かりやすい、ではないはずなのですが。
江川:だいぶ前のことですが、私は「格差」をテーマにした討論番組に出た時、冒頭に「格差について賛成ですか、反対ですか」と問われ、どちらかの札をあげろと求められて参ったことがありました。自由な競争がある以上、ある程度の格差が生じることはやむを得ない。ただ、その結果とても人間らしく生きていけないような貧困が生じたり、格差が固定化されることが問題なのであって、そういう議論を抜きにして、いきなり賛否を言えるような問題ではありません。なのに、こんな問いが出てくるまで単純化が進んでいるのだな、と。
石戸:ズバッと言うことへの支持があることは念頭に置きながら、それだけではいけないということを考えないといけないと思います。