舞台は2人の故郷・櫛ヶ浜に始まり、後に独立し村井屋を興した喜右衛門が、自ら漁場を拓いて干鰯製造の拠点とした長崎香焼島、また幕府の思惑一つで閉じも開きもした外交弁・出島などを転々とする。彼ら海の民の行動原理や、塩や俵物といった今に繋がる産業の盛衰を辿れるのも楽しい。
〈相撲が強うて出世でけますか。俺は智慧を凝らして一旗揚げとうございます〉と常々生意気を語り、村の若衆が力試しに使う力石を、滑車を使って持ち上げたりした喜右衛門を、真面目に鍛錬に励む吉蔵は当初よく思わず、〈いっしょに大網漁に出らんか?〉と誘われた時も気乗りはしなかった。
元々は紀州商人が持ち込んだ大網漁を、喜右衛門は船から船に網を渡す独自の形に翻案。その生きる場所を問わない志はやがて吉蔵をも巻き込んでゆくのだ。
「当時は漁のノウハウごと売り込んでその土地の人と漁場を開拓し、収益を分け合う商人も結構いたらしい。この一緒にやるということがたぶん大事なんですよね。その土地に根付くために神社仏閣に寄進をし、労働力も地元の人を使う等、その土地全体の繁栄や幸せを考えた方が、結果的には効率がいいのだと思います」
「金儲け=悪」ではないはず
面白いのはそうした浜の歩みや、塩問屋と浜主らの相場を巡る駆け引きなど、若き日の喜右衛門が経験し、目にした光景の一つ一つが、引き揚げにも深く関わってくること。例えば〈商いの正道を信じる〉人物として彼が敬愛する塩問屋・田中藤六の、〈この世には、働けば働くほど貧しうなることがままある。理不尽を乗り越える術を探さないけんのじゃ〉という言葉は、彼に何者にも頼らない独立独歩の人生を覚悟させる。
そして〈喜右衛門は御用商人を理想とはしなかった。公のために尽くす気もなかった。商売とは、どこまでも利己的な行為であるべきだった〉という、印象深い一文を導くのである。
「今いる場所に縛られない喜右衛門と簡単には未練を絶てない吉蔵の、どちらに共感するかは人によるでしょう。例えば自分の現状がうまくいってない時に、そのまま我慢していれば何とかなるだろうと思う人もいれば、自ら行動を起こす人もいる。どちらかといえば少数派で疎まれがちな後者の物語を、僕としては書きたかった。
今の日本でもそうです。このままじゃダメだと思う問題ほどダラダラと放置される空気は、誰もが感じているはず。そんな時、予め人生を約束された“持てる者”より、自力で切り拓くしかなかった“持たざる者”の方が動けたりする。その方が一見損に見えても人間らしさは捨てなくて済むし、実はカッコいいんじゃないかと思う。今作は、そういう話でもあります」