なるほど、これには世代によって若干の補足を必要とするだろう。「早弁の自由」が保障されたのは1970年前後の学園紛争のあとである。それ以降の麻布生にとって早弁はごく当たり前の行為であるが、湯浅さんの時代まで、早弁はリスクを承知で自分のスタイルを貫く行為であり、同時に周囲への信頼がなければできない行為でもあった。その両方からもたらされる高揚感が、一層メシの味を際立たせていたに違いない。
「誰も“いい子”になるやつがいない集団がいちばん強いんですよ。逆にいえばそれが日本社会の弱点です。すぐに“いい子”が出てきちゃう。コロナの時代がやってくるといわれていますが、予定調和的に考えたらきっとダメです。誰も“いい子”にならないで、好き勝手なことを言い合って、なんとなく決まっていって、誰の手柄でもない成功を社会として手にするというのがいいと思います」
【話者略歴】湯浅卓(ゆあさ・たかし)/国際弁護士。1955年11月24日東京都生まれ。1974年麻布高校卒業、1979年東京大学法学部卒業。その後UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)、コロンビア、ハーバードの法律大学院に学び、ニューヨーク州、およびワシントンD.C.の弁護士として活動するかたわら、独特のキャラを活かしてテレビのバラエティ番組にも多数出演。
◆取材・文/おおたとしまさ(教育ジャーナリスト)
『麻布という不治の病』(小学館新書)より抜粋