──その様子に対してご家庭では何も言われなかった?
もういっさい何も言われたことがないですね。麻布に入ったからといって立身出世を期待する家庭ではまるでなかったので。
ぬくぬくとオタクをやって来たことがいまぜんぶ仕事に活きているので、それを保存してくれていた麻布という環境は本当にありがたい存在です。
麻布でいっしょにオタクをやっていたOというのがいまして、いまは日本中のオタクまわりの法務を取り仕切っているような弁護士です。いまもときどき仕事でからみます。彼は弁護士の道に進み、僕はアナウンサーの道を進んだわけですが、結局また出会った(笑)。
麻布とコミケで多様性を体験した
──そこから得られる教訓としては、他人から何と言われようが、どんな立場であろうが、自分の好きなことを地道に続けていくことは財産になるということですね。
地道というつもりはなくて、習性ですから(笑)。
いまコロナの時代といわれていますが、麻布関係者にtoo muchに怖がっているひとはいないだろうなと。「なんとかなるし、でも、やることやらないのはバカだよな」というくらいの感覚じゃないでしょうか。何にでも適応するしかないという感覚が体感覚としてあるから。
で、なんでこれができるかというと、長期計画立てないからなんですよ。麻布のひとって場当たり的なので、長期計画を立てるのが苦手じゃないですか。それを当たり前にして生きてきたから、いまも場当たり的にやるとそんなに大変なことにならない。
──自称コミュ障なのにアナウンサーになっちゃったことに悩んで鬱っぽくなっていた時期もあったようですが、それを克服して、いま、アナウンサーをどういう仕事だととらえていますか?
どんなことでも時間に合わせて喋れる仕事だと思います。1分で説明しろと言われたら、湾岸戦争もグラタンの作り方も1分でできます。まず概略をつかみ、それを核にして、尺に合わせてディテールを追加していくってことが瞬時にできる。
その点、オタクの習性が活かせます。オタクって、違う本を読み始めたらその瞬間に違う世界観に囚われるんですよ。その切り替えが速くて深い。いろんなものを雑食で見ていることが自分にとって良かったなと思います。
それを可能にしているのが、フラットに偏見がないことです。「なんでもいい」観。意外と残りがちなエリートへの偏見も麻布で消失しているし。多様性ってみんな口にしますけど、多様性って口で説明することじゃないんですよ。僕の場合は麻布とコミケ(コミックマーケット)で多様性を体験しましたね。