「集まる」コロナ前の疲れと根は同じ
こうしてみると、「集まる」ところからくるコロナ前の疲れと、「離れる」ところからくる疲れは表面上、対照的なように映るが、よく考えてみたらどちらの疲れも、皆が一堂に会することを前提にしたシステムに原因があることがわかる。根っ子は同じなのだ。
そして皆が一堂に会することを前提にしている以上、個人が複数の組織や集団へ同時に帰属することは認められない。実際に多くの会社は、これまで社員の兼業や副業を認めようとはしなかった。それどころか部下が社外の活動に参加したり、ネットワークを広げたりすることを快く思わない管理職が多かった。
学校も同じで、学生や生徒が学外の活動で影響を受けたり、学業に専念することを妨げられたりするのを恐れる傾向があった。
要するに個人を組織の中に囲い込もうとしているわけである。しかし、会社も学校もグローバル化、IT化の時代に個人を囲い込むことはもはや不可能だ。そして社会人も学生も、一つの組織にとっぷり浸かる生活の「影」の部分をコロナ禍で思い知ったはずである。
会社・学校と自宅以外に「第3の居場所」をつくっておくこと、そして自ら外部にネットワークを広げていくことがポスト・コロナの生き残り戦略になる。