阪急電鉄の創始者である小林一三氏は自著のなかで、「阪神電車の訴訟事件――弱くとも正義は勝つという実物教育を得た時から、今に見よ、というこの敵愾心が阪急の今日をなし得たものと信じている。もしあの時、阪神電車が正しい道を践んで、逆境に沈淪していた箕面電車を助ける意味から、灘循環線を引受けていたならば、今日はどうなっておるだろう」と書いている。
その後、阪急は事業を拡大して、現在は路線の総延長150キロ、阪神は50キロと3倍の差がついた。そして、村上ファンドに買収されそうになった阪神を救済する形で経営統合が果たされ、現在の阪急阪神HDが生まれたのである。
小林翁はその半世紀前には鬼籍の人となっていたが、この世紀の合併劇を目にしたら、また違った感慨で「今日はどうなっておるだろう」と語ったに違いない。
『週刊ポスト』では、阪神タイガースの元球団社長で、阪神電鉄時代に旅行部門で働いた野崎勝義氏がインタビューに答え、合併劇で阪急がいかに「うまくやった」か、そして阪神側がいかに「腹が据わっていないか」を嘆息している。