黒沢は一九六四年に東宝のニューフェイスを受けて合格、俳優の道を歩み始めることになる。「実はその前に大映と日活も受かっていたんだ。でも、そうなるとだんだんズルくなってね。東宝が一番大きい会社だから、全て断って東宝を受けることにした。昼は陸送の運転手、夜はキャバレーのボーイをしながら、東宝を受けるチャンスを待った。
一次審査。面接だよ。ずらっといろんな人が並んでいる中に新珠三千代さんがいた。俺、大ファンだったんだ。それで質問されて頭が真っ白になって、恥ずかしくて地べたに寝ころんじゃった。そしたら進行係が『君、まじめにやれよ』と言うから『こんなキレイな人に質問されて素直に答えられるわけがない!』と反発しちゃったんだよね。
それでも二次で通った。居合わせたカメラマンの大竹省二さんには『お前が一人目立っていたぞ』と言われました。
そして最終審査。俺の順番は早かったんだけど、わざと遅れて最後の方に行こうと思った。それで大道具倉庫の裏に隠れていたんだ。で、頃合いを見て会場に入った。他の人の審査をしている最中に制止を振り切って。
そして真ん中に立って『すみません! 駄目かもしれませんが、僕の話を聞いてください!』って。この時のセリフも既に考えてあった。『十六歳の時に母が四十歳で死にました。弟は十四、十二、十。僕は今、働いて稼いでいます。僕を採らないと映画界の損失になります!』とかなんとか言ったんだよ。
最終的に受かったのは、男では俺一人だった」
【プロフィール】
春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。
※週刊ポスト2020年11月20日号