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2020.11.20 07:00  女性セブン

柏原芳恵 事実婚の22才年上夫が白血病患い献身介護の日々

事実婚恋人を献身介護

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 1980年にデビューした柏原芳恵(55才)にとって、今年はデビュー40周年を迎えるメモリアルイヤーだ。同期に松田聖子、田原俊彦らがいる“アイドル黄金期”に活躍し、80年代を代表するトップアイドルの1人だった彼女はいま、30年前に出会ったパートナーとの絆を改めて感じているのかもしれない──。

 1979年、大阪に住む中学2年生だった柏原は、伝説のオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)でグランドチャンピオンに輝き、スカウトされた。

 翌年、単身上京し、阿久悠作詞の『No.1』でデビュー。1980年といえば、松田聖子(58才)、田原俊彦(59才)、河合奈保子(57才)らが綺羅星のごとく現れた記念すべき年。そのなかで「柏原よしえ」としてデビューした彼女は、『No.1』で14才ながら、体を艶めかしくくねらせた歌い方で一躍注目された。

 1982年、17才の誕生日に本名の「柏原芳恵」に改名し、谷村新司(71才)や松山千春(64才)など、ビッグネームのシンガーソングライターが提供する楽曲路線に挑んだ。なかでも忘れられない名曲となったのが、中島みゆき(68才)が作詞作曲した『春なのに』(1983年)だ。恋人との切ない別れを繊細に表現したこの曲は多くのファンの心をつかみ、『ハロー・グッバイ』(1981年)に次ぐ大ヒットとなった。

 ちなみに中島が作詞作曲した楽曲で最も多くトップ10に入るヒットを出したのは、研ナオコ(67才)でも工藤静香(50才)でもなく、柏原だ。

「中島さんは芳恵さんに『春なのに』の歌唱法を伝授するほど入れ込んでいました。中島さんから『すべての歌詞が悲しいのではない』と教えられた芳恵さんは、“春”は楽しい、“別れ”は悲しいというように、メリハリをつけて歌うようになりました」(音楽関係者)

 1986年10月には、柏原の大物ぶりを物語る、異例の出来事が発生した。かねてから柏原の大ファンを公言されていた浩宮さま(現在の天皇陛下)がリサイタルを訪れ、庭に咲く一輪のプリンセス・サヤコ(バラの花)を柏原に手渡されたのだ。この出来事は、翌日の一般紙とスポーツ紙の一面を埋めた。

「そのバラは原色ドライフラワー処理をして、そのままの色と形で保存してあるそうで、芳恵さんにとって“家宝”です」(前出・音楽関係者)

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