「私、干されているんです」
大坪は1992年3月に東京慈恵会医科大学を卒業して医学部で助教を務め、厚生労働省傘下の国立感染症研究所に出向し、2008年に医系技官として入省した。
厚労省の医系技官には、2017年に事務次官に匹敵する医務技監というポストが設けられた。その下が医政局長を筆頭にした各局長、さらに審議官という格付けとなる。他の省庁と同じく、本来、キャリア官僚の出世は課長級の参事官になるのもひと苦労で、出身大学の学閥が影響する。厚労省では、東大や慶大卒の医系技官が幅を利かせ、出世を競ってきた。
そんな厳しい出世レースで、慈恵医大出身で中途採用の大坪があっという間に審議官に出世したものだから、評判になるのも無理はない。第二次安倍政権の誕生した2013年、和泉が内閣官房の健康・医療戦略室の室長に就くと、彼女は課長級の参事官として起用され、ほどなく次長に昇格。内閣官房審議官となる。
異例の出世は、7年8カ月続いた安倍政権でナンバー2の官房長官だった菅の後ろ盾があればこそなのは言うまでもない。菅―和泉というラインに乗り、大坪は不倫騒動が囁かれるさなかにもコロナ対策を担った。コロナの日本上陸当初の昨年2月、豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」で、マスクも着用せずに呑気に振る舞う姿が顰蹙を買ったのは既報の通りだ。
安倍と菅にすきま風が吹いていた折も折、さすがに安倍官邸は和泉や大坪をコロナ対応の第一線から外し、彼女は内閣官房から厚労省に舞い戻った。先の厚労官僚がこう言葉を足す。
「内閣官房にある健康・医療戦略室次長で審議官だった彼女は、感染症対策の危機管理・災害対策者として自由に官邸に出入りできるパスを持っていました。しかし、厚労省に戻ると、それを取り上げられた。7月頃から和泉さんに呼ばれて再び官邸に行くようになったけど、これまでのような立場ではなくなったことが不満だったようです」