半年で急死
「間垣」を巡って関係者の思惑が渦巻く──その名跡が長年、悲劇を生んできた“因縁の株”であることは興味深い。
直近まで保有していた元前頭・土佐豊は20代目となるが、戦後に「間垣」を継承した親方8人(借株を含む)のうち、定年まで務めた親方はいない。
「16代目を襲名した元小結・清水川は、1959年に間垣部屋を興すも弟子に恵まれず閉鎖し、53歳で肝硬変のため亡くなった。17代目は日大卒の元関脇・荒勢。現役時代は“がぶり寄りの荒勢”として鳴らしたものの、『間垣』を継いだ引退後は2年間、花籠部屋付きの親方を務めたあと、元横綱の二代目・若乃花が引退すると、早々に年寄株を譲渡して34歳で廃業した。タレントに転身するも、59歳で急性心不全で急死しています」(ベテラン記者)
二代目若乃花は、現役時代も親方としては苦難の道が続いた。現役中の1980年に師匠である二子山親方(元横綱・初代若乃花)の長女と結婚するも、約1年でスピード離婚。1983年に引退後は間垣部屋を興して協会理事にまでなったが、2007年に54歳で脳出血を発症し、それ以降は車椅子生活となった。
「2008年5月場所中には弟子を竹刀で叩く暴行事件を起こし、同年8月には弟子の若ノ鵬が大麻所持の疑いで逮捕されて理事辞任に追い込まれた。最後は公益法人化に際して求められた年寄株の名跡証書が提出できず、60歳で退職した。当時、すでに借金のために株を譲渡していたといわれる」(同前)
その後を継いだ時津風部屋の元小結・時天空は、引退から半年後に悪性リンパ腫のために37歳で死去した。
「スキャンダルや所有者が病気で亡くなることが多く、“呪われた株”とも呼ばれている」(同前)