とてもよくない状況です。虐待を受けて育った子どもの心の傷は大人になっても残り続けます。自分には生きている価値がないと思い込み、自殺したい気持ちが消えなかったり、人と関わるのが怖くなって外に出られなくなるケースもあります。頻繁なフラッシュバックに苦しむこともあります。仕事が続かず経済的に困窮することもありますし、解離性障害という、記憶が飛ぶ症状が出て日常生活に支障をきたす場合もあります。
人間というのは、辛く苦しい記憶を保ち続けると心のバランスが崩れるので、その記憶に蓋をするのです。解離は心のバランスを保つための防衛なのですが、症状が重くなると日常生活は営めなくなります。私はそのことを裕子に説明しました。
「娘さんの人生を台無しにしてしまうかもしれません」
慎介の子ども達への暴力の話を始めてから裕子はずっと涙ぐんでいましたが、ポロポロと涙を流しました。
「私、子どもを守りたいです」
この言葉が聞けて本当に良かったと心底思いました。これから、一番大変なのは裕子です。母親の強い覚悟が必要です。
最初の難題は、どうやって慎介をカウンセリングに来させるか、です。慎介を連れて来ることができるかを尋ねると、裕子はどうにかできると思う、と言いました。
「私が離婚を何度も考えているのは知っているのでカウンセリングに来ていると伝えても驚かないと思います。ただ、夫はすごく外面が良くて、自分が悪い夫、悪い父親とは思っていないので、自分は正しくて、私が悪いって言うと思います。そう主張するために積極的に来ると思います」
外面が良いのもDV夫の典型的行動と言えます。自分は正しいと信じ込んでいる点も。
「だから、私、心配です。夫は山脇さんを味方につけようとすると思います。夫はすごく口が達者なので、夫の言うことの方が正しいって思われちゃうんじゃないかって。私の親にも友達にも、夫のことを相談したことがあるんですが、みんな、『あんないい旦那さんが』『信じられない』って信じてくれませんでした。だからカウンセリングに行くのもずっと迷っていたんです」
これもとてもよくあることです。夫の外面がいいので、身近な人が誰もDVを信じてくれない。前のカウンセラーは信じてくれなかった、と相談に来た女性もいました。
「心配しなくても大丈夫ですよ。私がご主人の言うことを信じることはありません。裕子さんがわざわざカウンセリングに来て、ご主人のことを悪く言うメリットは何もないですから。それに、暴力を振るう夫や虐待する父親はたくさん見てきましたから、彼らの言動は理解しています」
実際私はたくさんのDV夫や子どもを虐待する父親に会って何度も何度も話をしてきました。彼らの特徴は知っています。
次回は、慎介の言い分を聞くために、ということ以上に、暴力、特に子どもへの暴力は児童虐待に該当する許されない行為であることを伝え、今後やめる意思があるかを確認するために、慎介と裕子の2人で来てもらうことにしました。