奉公先の材木屋では、朝5時に起きてから夜中に材木屋の若い衆が寝静まった後の風呂掃除をするまで休む間もなく働いた。大根飯をかっこむだけの食事も、つらくあたる女中も、芯から冷える川の水でのおしめ洗いも、おしんは故郷・山形の家族を思いながら耐え抜く
おしんは「女性の自立」の象徴だった
髪結いとして働いているときに出会った田倉と結婚したおしんだが、その後も苦労の連続。子供を抱えながら働く姿は、当時注目されていた“女性の社会進出”を体現していた。
「それは決して社会的になにかリーダーになるとかではなくて、一市民として生きる女性が堂々と自分自身を確立していくプロセスです。浮かれた時代に、女性というのはどーんと構えて地に足がついているんだ、ということも伝えたかったのだと感じます」(前出・碓井さん)。
男だらけの映画・脚本の世界にたったひとりで挑んだ橋田さん。苛烈なパワハラを受け、イヤというほど理不尽を味わったというが、「お茶くみをするために会社に入ったわけではない」と啖呵をきって10年勤めた松竹を辞めたとき、橋田さんの胸にあった信念こそ「私は、私の道を行くしかない」だったのだ。
バブル崩壊、不況、震災、そしてコロナ禍と、暗く先の見えない時代に何度でも『おしん』に励まされるのは、「命以外すべて失うことを何度経験しても、人のせいにせず、自分自身の力で立ち上がる。その姿に勇気をもらう」(前出・碓井さん)からではないか。
写真/共同通信社
※女性セブン2021年4月29日号