今の子供たちは、LINEなどのSNSでは自分のお気に入りの友達だけでつながり、嫌いなやりとりはブロックしています。それが当たり前だと思っている子供は、学校という閉鎖空間で、たまたま一緒になったクラスメイトとの人間関係を押しつけられることが理解できないはずです。ましてやそのクラスメイトにいじめられたら、“なぜこの人間関係をブロックできないのか”と思い、学校に行かなくなってしまうでしょう。
社会人も同様です。実績がないのに威張るだけの上司、足を引っ張るだけの同僚、なにもできないのに生意気な部下——そんな人間関係になぜ耐えなければならないのか。この疑問に対する説得力のある答えはもはやありません。「置かれた場所に咲きなさい」の美徳は、今の若者には悪い冗談とすら思えないでしょう。
突き詰めて考えれば、人間の感情はほぼすべて人間関係に由来します。単にお金がないとか健康状態が悪いからではなく、それをきっかけに人間関係に問題が発生するから、自分を不幸だと思うようになる。あらゆる幸福と不幸の原因は人間関係ですから、それを自分でマネージメントしたいと望むのは当たり前です。
こうしてアメリカではフリーランスが労働人口の5割に達し、日本でも2割を超えました。これから先は、会社勤めは独立への最初のステップで、仕事を覚えてネットワークができたら、20代後半〜30代前半でどんどんフリーランスになるのが当たり前の社会になっていくでしょう。
「好き」「得意」のどちらで稼ぐべきか
大きな問題は、日本は先進国のふりをしているものの、いまだに前近代的な身分制社会だということです。その象徴が正社員と非正規社員の身分差別ですが、女性の正社員も出産によって社内の身分が下がり、マミートラックという「下級社員」の働き方に追いやられてしまいます。
その結果、さまざまな国際調査で、日本のサラリーマンは世界で一番やる気がなく、会社を憎んでいて、なおかつ長時間労働のわりに生産性が極端に低いことがわかってきました。これまで日本では、右も左もすべての知識人が「終身雇用・年功序列の日本的雇用が日本人(男だけ)を幸福にしてきた」として「雇用破壊を許すな」と大合唱してきましたが、じつは日本的雇用制度こそが日本人を不幸にしているのです。