最後に、中山は年上22人をどう呼んでいたかを列挙しておこう。
14人:~さん
2人:先生
2人:~ちゃん
1人:監督
1人:師匠
1人:~くん
1人:呼び捨て
当然のように「さん付け」が最多に。「先生」は漫画家の浦沢直樹、東大教授の安冨歩、「監督」は映画監督の園子温、「師匠」は師と仰ぐ志村けんとなっている。
気になる呼び方は3つあった。「くん付け」は、「東くん」と東山紀之に行なっている。1歳違いで、デビューの時期が同じであり、ジャニーズの中には「東くん」と呼ぶ後輩も過去にいたことも関係しているのだろうか(ただし、中山はTOKIO国分太一のことは「国分さん」と呼んでいた)。
「ちゃん付け」は石塚英彦の「石ちゃん」、今田耕司の「今ちゃん」の2人になる。石塚とは5歳離れているが、1984年に渡辺プロダクションが立ち上げた若手タレント養成機関『ビッグサースデー』の同じ1期生という仲だからだろう。今田耕司とはかつて『殿様のフェロモン』で共演。1歳上の今田が対談で〈『殿様』での僕たちの仲の悪さは有名で、周りからも「あの2人は共演NG」っていわれてて。僕たちの“確執”は語り草になってた〉(2013年12月24・31日合併号)と語っており、当時は険悪なムードも漂っていたようだ。その距離を縮めるために「ちゃん付け」をしたのかもしれない。
中山が「呼び捨て」にしていたのは、2歳年上のX JAPANのToshlである。もともと中山とToshlの兄が知り合いだったこともあり、2人は1985年頃に出会ったという。
〈僕はまだインディーズで活動していたころでした。兄の四谷のアパートでデモテープを聴いてもらいましたよね〉(2015年1月27日号)と2歳上のToshlが語っている。当時、お互いが20歳前後だったことも関係していそうだ。