そして晩年は、死後についても考えるようになり、「静かに眠りたい」と口にすることもあったという。そう考えるようになったのには、若き日に見た父・阪東妻三郎の墓のあり方が影響しているのかもしれない。こんなエピソードが伝わっている。阪東は昭和の大スター。亡き後に多くのファンが墓参りに訪れていた。
「阪東さんが眠る京都の菩提寺には、お墓に通じる道の入口に『阪東妻三郎 田村伝吉氏墓』と書かれた木の案内板が建てられていました。ひとりで墓参りに来ていた田村さんは、それを見るなり『こんなものを建てられては、ゆっくり休めやしない』と、引っこ抜いてしまったというんです。死んでもなお、“演じ続けなくてはいけないのか”と感じたのでしょう。自分の死後を考えたときに、こうはなりたくない。そんな考えがあったのかもしれません」(田村さんの知人)
「そうか、もう君はいないのか」
「静かに」の言葉が、墓石を建てない理由との見方もある。登司麿さんはこう明かした。
「墓石を建てる予定はあるはずです。でもいまは、正和が亡くなったことが発表されたばかり。ファンのかたが、たくさんお墓を訪れていると聞いています。それはとてもありがたいことなのですが、そんななかで新しいお墓を建てると、また目立ってしまう。それは正和の思いとは異なりますからね。だからいまは、和枝さんが建てるタイミングを見計らっているんじゃないでしょうか」
そう理解はしていても、登司麿さんのなかで弟に会いたい感情は日増しに大きくなっているという。
「皆さん、正和の代表作というと、『古畑任三郎』とか『眠狂四郎』(共に、フジテレビ系)とか挙げるでしょう? でもぼくのなかでは、富司純子さん(75才)と夫婦役を演じた『そうか、もう君はいないのか』(2009年・TBS系)なんです。役柄に正和の優しさがにじみ出ていて、俳優の田村正和じゃなくて弟・正和を見ているようなんです。ドラマを見た後に正和に電話して、『すごくよかった』って伝えたら、『ありがとう』って言っていた。感情を出すことなく、彼らしく淡々とね。
正和が亡くなってから、あのドラマと、『ありがとう』の言葉をよく思い出すんです。タイトル通り『もう君はいないのか』って思ってしまうんですけどね……」(登司麿さん)
墓ができたらすぐに会いに行きたいと登司麿さんは言う。気になるのは、どんなこだわりの墓石なのかということ。
「麗々しさを嫌う田村さんですから、こだわりが強い墓石といっても、きらびやかだったり、主張が強かったりということではないと思います。『静かに眠りたい』と考えていたほどですから、むしろ控えめな墓石なんじゃないかな」(前出・田村さんの知人)
彼を慕う多くの関係者が悲しみから抜け出した頃、田村さんらしい家族思いの墓が建つのだろう。
※女性セブン2021年7月1・8日号