横浜・渡辺元智監督に挑み続けた戦い
横浜を率いていた渡辺元智監督とは、甲子園をかけて何度も戦いを挑んだ。横浜と東海大相模は神奈川を長く引っ張る「2強」であるが、原貢氏を追いかけたのが渡辺監督であり、渡辺監督を目標にぶつかったのが門馬監督という時代の流れがある。
「ライバルというよりは恩人です。『渡辺先生に何としても勝つんだ!』という想いがあったからこそ、強くなることができた。2015年の全国制覇は、渡辺先生に挑み続けたすえの結果だったと感じています」
初対戦は2003年夏の準決勝。スコアは0対2だったが、スクイズで先制点を奪われ、監督としての力の差を感じた敗戦になった。のちに「0対100と言ってもいい完敗だった」と語っている。
2011年にはセンバツを制し、夏も優勝候補に挙がっていたが、5回戦で横浜に敗れた。これまでならヒットエンドランを仕掛けていたであろう、「初回無死一塁」で送りバントのサインを出した。「あれはぼくの負け……。わかりすぎてしまうことで、怖さが出てくる」と、攻められなかったことを悔いた。
門馬監督が「ライバルというより恩人」と語る横浜高校・元監督の渡辺元智氏(時事通信フォト)
「神奈川は強くなければいけない」
2015年夏、甲子園で全国制覇を果たしたとき、神奈川の決勝の相手は横浜だった。渡辺監督にとって最後の夏であり、何としても恩返しがしたかった。地力の差もあり、9対0で勝利。ベンチ裏での取材を終えたあと、渡辺監督がいる一塁側に足を運んだ。これまでのお礼を直接伝えると、「神奈川の野球をやってこいよ」と声をかけられた。
「言葉の裏には、『神奈川の強さを見せてこい!』という想いがあったと感じています。神奈川は強くなければいけない。甲子園で簡単に負けてはいけないのです」
渡辺監督から得た学びは数えきれないほどある。監督同士の食事会では、渡辺監督の近くに座り、ジッと聞き耳を立てて、印象に残る言葉をメモし続けた。
「グラウンドを離れた場でお話をさせていただくと、人間・渡辺先生が出てきます。人としての奥深さや知識の広さ、器の大きさ、そのすべてが偉大。知れば知るほど、かなわないと思いました」
渡辺監督は野球界だけでなく、他分野の人とも積極的な交流を持っていた。門馬監督も2012年頃から政財界の集まりなどに足を運ぶようになり、「野球だけ」にならないように見聞を広げている。