他人から教わる機会がなかったにもかかわらず、本気で取り組む下の世代に対しては、熱を込めて指導した。村田が続ける。
「ロッテの監督になっても、自分が成功した経験を惜しげもなく話してくれた。自分で道を切り開いたからこそ、自信を持って勧められるのだと思います。アスリートの体調管理なんて注目されていない頃から、鍋で温野菜を食えとか、ミネラルウォーターを飲めとか。自分の体には惜しまず投資しろという教えでした。
ただ、教えを受けたうえで、下の世代が自分で考えたことを主張すると、怒らずにそれを認めてくれた。もちろん、直接言わずに陰であれこれ言うのは怒られます。議論することで成長するという考えでしたね」
その姿勢を尊敬してきたと村田は話す。
「今でも“走れ走れ”の金田理論は生きていると考えます。昭和ヒトケタは物事の本質を見抜く力があった。準備を怠らず、約束を守るという人間としての基本ができていた。単なる頑固者たちじゃなかったんです」
※週刊ポスト2021年7月30日・8月6日号