実は、練習のつもりで歌った歌が収録されていたんです。感情を込めずに歌ったことが、逆に、聴く人それぞれの思いを浮き立たせてくれたんでしょうね。
たぶん、私は語り部。いまでも『会いたい』を歌うときは、物語を淡々と置いていくように、気をつけて歌っています。
当時は、1987年にデビューを果たしたものの鳴かず飛ばずで、1990年のアルバムがラストチャンス。これが売れなかったらもう終わりというところまで追い込まれていた時期でした。
当初、同じアルバムでCM曲に決まっていた『Live On The Turf』という曲がプロモーションの中心。『会いたい』はシングル化の予定もなかったんですが、ディレクターが「この歌には何かある」と土下座するくらいの勢いで猛プッシュし、シングルカットが決まりました。
ノンプロモーションでほったらかしでしたが、有線放送で地道にかけてもらったおかげで、発売から3か月くらいで有線放送チャート40位ぐらいまで上昇。その頃から周りも、「何か奇跡が起きている」とザワつき出して、プロモーションを開始。1991年には有線放送で1位となって大ヒットし、『NHK紅白歌合戦』にも出場させてもらいました。
さらに、2000年には「21世紀に残したい泣ける名曲」の1位に選ばれました。実は、2004年の中越地震(新潟県)の後、チャリティーで歌わせていただいたんですが、そのときに皆さんが泣いてくださって。それは悲しい涙ではなく、泣くことによって、怖くつらい体験をした心を癒しているのだと感じたんですね。これが歌の力なんだと思い、その後セラピーを勉強。それ以降は、“涙活”こと、歌セラピーコンサートを各地で行っています。
『会いたい』のヒット後いろいろなことがありましたが、ここまで夢を叶えてもらい、感謝しかありません。この曲はもはや、私の中の最高の相棒ですね。
取材・文/北武司
※女性セブン2021年7月29日・8月5日号