東京駅の地下街、場所によっては歩くのも大変な人波を眺めながら、高級洋菓子店の店員さんがマスク越しに微笑む。この超一等地の家賃を支払いながらの営業は大変だろう。それにしても、都心の主要箇所は本当に大混雑、一般国民はこの夏を、コロナ禍を本気で楽しむつもり満々だ。
「死なないならいいか、でしょ。ほとんど死んでないでしょ、ピンとこないですね」
東京駅前、帰省のために長距離バスを待つ若者が答えてくれた。彼の言う通り、若者に限ればコロナで生命を脅かされる確率は低い。いや、日本国内でのコロナ死者数を考えれば、一般国民がオリンピックを契機に日常生活の奪還に乗り出しても、それは致し方のない話かもしれない。後遺症云々と言っても自分事でない限りはピンと来ないし、やはり確率そのものは低い。
「それにワクチンなんて打ってもらえないじゃないですか」
そうして、日本全国の新たなコロナ感染者は、1日1万人を突破する日々が続いている。東京だけだった緊急事態宣言に千葉、埼玉、神奈川と大阪も追加され、期間は8月31日までとなった。昨年からのたび重なる緊急事態宣言は何だったのか。ライブハウス、パチンコ、夜の仕事、旅行業界、居酒屋と次々に祭り上げた魔女狩りは何だったのか。少なくとも、一般国民の多くは政府の要請に従ったはずだ。なにが悪いのか、どうすればいいのか。この素朴な国民の疑問に政府は十分に答えていない。先の男性の「死なないならいいか」はシンプルだが強い。実際、若者にワクチンは行き渡っていない。
頂点に達した不信と諦観こそ国民による無意識の反乱であり、この結果である。筆者は昨年のパチンコバッシングの時に訴えたはずだ。魔女狩りは分断を生み、その分断は収集がつかなくなると。それなのに、東京都は次の生贄を「若者」にしようとしている。こうした若者の外出こそコロナを撒き散らしていると。オリンピックは別枠で、元凶の中国は聖域、一般国民の声なき声を汲み取ろうとせず、欲と欺瞞に走った為政者どもの結果がこれなのに。
はっきり言う。人流は減っていない。減るわけがない。もうオオカミ少年と化した緊急事態宣言など誰も聞かないのではないか。取り戻しつつある繁華街や行楽地の活気こそ声なき声である。みなコロナに罹るのは嫌だが生活がある、人生がある。オリンピックの盛り上がりそのままに、一般国民は思い思いに興じ、若者は「死なないならいいか」で夏休みを満喫するだろう。このコロナ禍、一貫してオリンピックだけを別枠として盛り上げた張本人は国であり各自治体である。こんな矛盾に従えるわけがない。この人出、収まらない人流こそ、一般国民による声なき声の反乱である。実際、8月に入っても人流というこの反乱の収まる気配はまったくない。
我慢しようが外に出ようが、どうせオリンピックの終戦後には「コロナは一般国民のせい」という一億総懺悔を強いられるのだから。
【プロフィール】
日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社・共著)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)ほか。近著『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。