それではなぜ、求刑が「禁錮7年」であったのに、5年に減刑されたのだろうか。
「量刑が軽すぎるとは思います。でも過失運転致死傷罪の上限7年にしばられ ているのです。5÷7で約7割。実刑判決では求刑の5割、6割となる場合もある ので、妥当なところでしょう。
たいてい求刑よりも判決のほうが減刑されます。検察庁には求刑した事例の集積があり、 担当検察官はそれに基づいて求刑します。
一方で、裁判所にも事例の集積がありますが、それは検察庁の基準とは異なります。ですから減刑されることが多いのです。多重事故で10人以上亡くなった交通事故もあるので、今回7年という上限の判決を出してしまったら、 量刑の均衡を考えると不公平になってしまいます」(高橋弁護士)
では、「過失運転致死傷罪」でより重い「危険運転致死傷罪」とならなかったのは、なぜだろうか。
「今回の事故は、アルコールの影響はありませんし、制御困難な高速度をわざと出したり、幅寄せしたり、逆走したり 、信号をことさらに無視したりしていませんから、危険運転致死傷罪の要件にそもそも当てはまらないからです。 しかし、現状では、危険運転致死傷罪の上限は懲役20年、過失運転致死傷罪は7年で、13年も差があります。過失犯であっても13~14年の上限に法改正しないと、つり合わないと思います」(高橋弁護士)
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判決後の記者会見を終えた松永さんに「お疲れさまでした」と声をかけると、こう答えてくれた。
「もちろん裁判も大事だけれど、次に起こってしまうかもしれない事故を防ぐ方がよっぽど大事だと思うんです。判決に不服があるなら控訴できる権利があることも尊重しています。でも私は、裁判を長引かせるよりも、交通事故をなくして、このような悲しい思いをする人が一人でも減るように活動をしたいと思っています」
判決の翌日から2週間、9月16日までの控訴期間があるが、松永さんはその期間も“ただ待って過ごす”のではなく、交通事故撲滅に向けた活動を行う。9月5日には、松永さんが副代表理事を務める「一般社団法人 関東交通犯罪遺族の会」主催で学生向けに、交通犯罪被害者遺族対談イベント「天羽プロジェクト」を開催。
「この2年4か月、さまざまな人に支えられて生きることができました。ほんとうに関わってくださった皆様、応援してくださった方々に心から感謝しています。この先裁判が続くかどうかは被告人にも権利がありますが、どんな結果であれ、2人の命を無駄にしないために、できることはやっていきたい。今はそう思っています」(松永さん)
裁判に終わりはあっても交通事故をなくすための活動に終わりはない、と言う松永さんの視線はさらに先にあった。