9月2日、無事に退院した相澤氏
たった5日間の入院、ホテルを合わせても1週間の隔離生活だった。それでも自由に外に出られるという感覚がずいぶん久しぶりのことみたいだ。思わず「娑婆の空気はいいなあ」と感じる。外の光がまぶしい。症状は回復に向かっても、体力はずいぶん落ちていた。体重は7キロも減っていた。
患者が「訴え続ける」ことが何より大事
コロナ体験は時期や場所で大きく異なる。僕の場合、第5波の流行期に大阪で感染した。大阪は第4波で多数の死者を出した経験で多くの病床を確保していたようだ。これに対し東京は第5波で在宅中の患者に多くの死者が出た。僕は大阪でこの時期に感染したから、まだ医療に届きやすかったのだろう。
コロナ閉鎖病棟、レッドゾーン。そこに入る人は限られる。中を垣間見ることができたのは貴重な体験だった。医療現場の皆さんのおかげで、僕は無事回復し社会に戻ることができた。
医療の現場は全力を尽くしている。問題は、その医療の現場にたどり着けない患者が大勢いるということだ。診断された瞬間から医療を受けられなくなるなんて、根本的な仕組みが間違っている。その現実の一端を今回、垣間見た。
保健所の手が回らないという。それが事実だとしても、言われた患者は「手が回らないから見放された」と感じるだろう。保健所とかけあって入院入所を求めるのは容易ではない。しかし、コロナの症状は急変する。声をあげない人が自宅で我慢しているうちに在宅死するなんてことがあっていいわけがない。だからこそ、コロナに感染した場合、「手を回してください」と繰り返し訴えるしかないのだ。遠慮していると、そのまま自宅で死ぬことになりかねない。
それは保健所の担当者ももちろんわかっているだろう。殺到する業務に追われて大変なのだと思う。みんなが声を上げ始めたらストレスも高まるし、ますます「手が回らなくなる」恐れもある。内部で改善しようとしても、かなわない事情もあるのかもしれない。とすると根本の問題は現場ではなく、保健所の体制を決める行政当局、そして最終的には政治の責任ということになる。
コロナ患者に対する今の我が国の仕組みは、まるで患者をなるべく医療から遠ざけようとしているみたいだ。医療崩壊を防ぐため、事実上患者を選別する仕組みではないかとすら感じる。声の大きい者が優先され、声なき者は後回しに。そして自宅で死を迎えるという不条理。幸いにも第5波は収束に向かっているようだが、今後も第6波が懸念される。
では今すぐ僕らにできることは何だろう? それは、命を守るため「救いの手を回してほしい」と現場で声をあげること。そして国や地方の政治・行政に対し「誰もが医療を受けられるように、医療機関や保健所の体制を充実させるべきだ」と強く訴えること。これが、今回のコロナ体験で学んだ最大の教えだ。タイミングよく、目前に衆議院総選挙が控えている。
■取材・文/相澤冬樹(ジャーナリスト)