2018年に亡くなった西城秀樹さん
《過去の50曲を捨てたわけではないんです。ただ30代でやろうとすることはちがう。今は昔の思い出にひたって歌っていたくない。だから50曲はみなさんの中できちっとファイルしてくださいと。(中略)そんな区切りをつけることがボクには必要でした》
再出発するための挑戦。待ち受けていたのは壮絶な日々だった。
「お前らプロだろ! もっとピリっとしろ!」
コンサートに向けた本格的な準備が始まったのは、本番のわずか2か月前。西城さんは多忙を極めていたが、その合間を縫って都内スタジオに入り、打ち合わせやリハーサルに励んだ。
「すべての曲をフルでやると5時間以上もかかってしまうため、曲をメドレーにして歌うことになりました。秀樹さんは特に曲と曲のつながりにこだわっていました。準備期間のないなかで、いつもと違うアレンジされた50曲分をマスターするのは至難の業だったでしょう。
音源の入ったテープを移動中の車やテレビ局の楽屋でひたすら聴き、曲の順番や長さを体に叩き込んでいました。当時はデジタル機器も発達しておらず、本番のステージにもいまのように進行表や歌詞カードはありませんでした。秀樹さんはすべて、自己責任で万全の準備をしなければなりませんでした」(前出・片方さん)
コンサートを成功させるため、急ピッチで準備が進められた。そして迎えた本番当日、会場の武道館で最後のリハーサルが行われている最中、“事件”は起きた。
「秀樹さんはオープニング部分を客席からチェックしていたのですが、会場が暗転する中、緊張感のない様子でスタンバイするバンドメンバーに対し、『お前らプロだろ! もっとピリッとしろ!』と怒号を飛ばしたんです。これには驚きました。
秀樹さんはおおらかな人で、『西城秀樹』のスイッチが入るのはリハーサルが終わり、メイクをし、衣装に着替えてからなんです。本番前は、周囲をリラックスさせるように振る舞うかたでした。
このときの一喝は、絶対にこのステージを成功させる、お前らも同じ気持ちになってくれ、そういう思いがあふれ出たんだと思います」(前出・片方さん)
18時30分。「伝説のコンサート」の幕が上がった。満員の観客席の照明が落ち、ステージ上でダンサーたちが踊り始める。その中に、スポットライトを浴びた西城さんが登場すると、会場に歓声が響き渡った。1曲目の『若き獅子たち』を歌い終え、MCが始まる。
《皆さん、こんばんは! 西城秀樹です(中略)皆さんの心の中に1曲1曲いろんな思い出があると思います。何せ50曲歌うわけですから、時間との勝負です。(中略)おれが倒れるかみんなが倒れるか! イエーイ!》