郊外キャンパスへ移転が増えたワケ
だが、1959年、今から約60年前にできた「工場等制限法」により、そもそも都心に大学を設置できにくくなっていた。これは都市部への人口集中を抑制するために設けられた法律で、大学も対象だったからだ。そのため、東京特別区、武蔵野市、三鷹市での大学新設が制限された。
その後、1962年には増設も禁止、1964年には横浜市、川崎市など、近畿圏の大阪市、京都市、神戸市なども制限区域となった。18歳人口の増加、大学進学者の増加の中、東京圏、近畿圏ではキャンパスの拡張や新設ができず、既設の大学も学部増設ができなかった。
そこで将来のことを考え、広いキャンパスを求めて郊外に移転したり、新キャンパスを設けたりする大学が増えた。
例えば、中央大は1978年に都心の千代田区のお茶の水から八王子市の多摩に移転。理工学部は文京区の後楽園キャンパスに残った。他にも北区にあった国立の東京外国語大が2000年に府中市に全面移転した。
キャンパス増設では、東洋大が1977年に埼玉に朝霞キャンパスを新設し、文系4学部の1年生が学ぶようになり、その後、2年生も学ぶようになった。また、青山学院大では1982年に厚木キャンパス(神奈川)ができ、文系学部の1、2年生や理工学部の1年生が学び始める。
関西圏では1986年に同志社大が京田辺キャンパス(京田辺市)を新設し、全学部の1、2年生が学ぶようになった。
当時は教養教育を受けるのが1、2年生、専門教育を受けるのが3、4年生と決まっていたため、キャンパスが手狭になった大学が、1、2年生向けのキャンパスを設置し、キャンパスを分けたのである。