印象が違う曲をいくつも手がけた(写真は郷ひろみ『男の子女の子』)
コーちゃんとの運命の出会い
岩谷が宝塚歌劇団の出版部に入ったのと同じ1939年、越路吹雪が宝塚歌劇の初舞台を踏む。越路はのちに日本を代表する舞台女優、シャンソン歌手として活躍するが、彼女もまた、岩谷との出会いで人生が大きく変わっていく。
「2人が出会ったのは岩谷さんが新米編集者、越路さんが初舞台を終えたばかりの新人の頃。越路さんは稽古の合間、岩谷さんの仕事場によく顔を出しては、本を借りたりしていたようです。岩谷さんの方が8才年上ではあるものの、意気投合した2人は同級生のような間柄でした。岩谷さんは、越路さんの本名・河野美保子から“コーちゃん”と呼んでいました」
折しも時世は太平洋戦争が激化し、戦況は悪化。宝塚歌劇団が得意としていたジャズやレビューは“敵性音楽”とみなされ、公演は軍国主義の色が濃いものになっていく。やがて岩谷が編集していた雑誌にも変化が表れる。
「戦時中、取り扱えるものがどんどん減ってしまい、雑誌にも余白が増えていきました。物がない時代ですから、『紙を無駄にするな』と上から言われ、あの頃の岩谷さんは、その余白に詩を書いていたそうです」
それが作詞家・岩谷時子の原点になっていく。
1944年、ついに宝塚大劇場は閉鎖され、宝塚歌劇団の団員たちは実家に帰り、離れ離れになってしまう。
そんな中、長野県出身の越路は岩谷の実家に身を寄せ、本当の家族のように暮らしていた。そして敗戦の報を聞くと、岩谷は越路のマネジャーとして活動するようになる。
(第2回につづく)
【プロフィール】
岩谷時子/1916年3月28日、京城(現韓国・ソウル)生まれ。本名・岩谷トキ子。神戸女学院大学部英文科卒。1939年に宝塚歌劇団出版部に入り、越路吹雪と出会い、のちにマネジャーとなる。戦後、東宝文芸部を経てフリーに。作詞家として活動を始める。越路吹雪が歌う『愛の讃歌』『ラストダンスは私に』などの訳詞、ザ・ピーナッツの『ふりむかないで』、加山雄三の『君といつまでも』、郷ひろみの『男の子女の子』など、手がけた作品は数千に上る。2013年10月25日、97才で没。
音楽ディレクター・草野浩二さん(84才)/東京芝浦電気レコード入社とともに、事業部・制作ディレクターとなり、岩谷と『夜明けの唄』などのヒットを世に送り出す。「岩谷時子音楽文化振興財団」の理事に就任し、「岩谷時子メモリアルコンサート?〜Forever〜」の企画に携わる。
俳優・竹下景子さん(68才)/1973年、NHK銀河テレビ小説『波の塔』でデビュー。1990年、コーちゃんこと越路吹雪との出会いと別れを描いた『ごめんねコーちゃん・越路吹雪と岩谷時子の二人三脚の人生』(NHK)で岩谷時子役を演じる。2021年、NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』では語りなどを務める。現在は『新日曜名作座』(NHKラジオ第1)にレギュラー出演中。
音楽評論家・田家秀樹さん(75才)/若者雑誌編集長を経て、音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソナリティーとして活躍。2006年4月から毎日新聞にて連載『岩谷時子・愛の名曲物語』を開始し、岩谷を取材。著書に『歌に恋して—評伝・岩谷時子物語』(ランダムハウス講談社)がある。
取材・文/廉屋友美乃
※女性セブン2022年3月3日号
本田美奈子.さんがキム役を演じたミュージカル『ミス・サイゴン』の訳詞も岩谷が手がけている
「岩谷作品で好きなのは『恋の季節』」だという竹下景子(撮影/篠山紀信)