相手役とともに大人の女優に脱皮
〈相手役にはさまざまな俳優が起用された。『セーラー服と機関銃』や『愛情物語』では渡瀬恒彦さんのようなベテランが、『時をかける少女』では新鋭の高柳良一(58才)が務めた。『メイン・テーマ』(1984年)には薬師丸の相手役として2万3000人の中から野村宏伸(56才)が選ばれている。渡辺主演の『結婚案内ミステリー』(1985年)では、当時26才だった渡辺謙が抜擢されている〉
遠藤:ぼくが印象的なのは、赤川次郎さん原作の『探偵物語』(1983年)で薬師丸さんの相手役に松田優作さん(享年40)が選ばれたことです。
優作さんはテレビシリーズの『探偵物語』(1979年・日本テレビ系)で人気を博していたため、映画で演じる探偵のイメージをつかめないでいました。そこであるスタイリストさんが提案された麻のスーツを優作さんに見てもらうことにしました。それを見た優作さんは、「遠藤! これはいいよ。おれ、役が見えた」とすごく喜んでおられた。
長身の優作さんと小柄な薬師丸さんのカップルに「身長差30cm」というキャッチコピーをつけて宣伝しました。
角川:彼女たちが年齢を重ねるにつれ、演じる役柄も変わっていきます。
本人たちはアイドルとは思ってなかったでしょうが、肉体の輝きと精神の輝きが一致するのは、わずか数年なんです。それから大人になって、女優として脱皮していく。典子は最初から成熟していましたが、薬師丸は『Wの悲劇』(1984年)、知世は『黒いドレスの女』(1987年)がターニングポイント。『黒いドレスの女』は崔洋一監督でしたが、「知世を女にしてくれ」と言いました。典子の『いつか誰かが殺される』(1984年)も崔監督。「典子がスターになれるかどうかで、この作品の価値が決まる」と話していました。
遠藤:『Wの悲劇』はぼくらも「少女から女へ」というキャッチフレーズをつけて宣伝しました。あの作品は澤井信一郎監督(享年83)作品で、薬師丸さんは常に監督との闘いだったと思います。ラストで見せる泣き笑いの表情に監督からのダメ出しが何度もあって、相当悩んでいました。ただ、それがあったからこそ、役者としてステップアップすることができたのだと思います。
角川:『Wの悲劇』は東映東京撮影所で撮影されていましたが、現場を訪れるたびに監督から「傑作に一歩一歩近づいています」と言われました。それで初号試写を見たら想像以上の傑作で、エンドロールが終わっても立ち上がれないほどでした。
澤井監督は知世の『早春物語』(1985年)でも“ここまで追い詰めるのか”と思うような厳しい演出をしました。試写を見た原作者の赤川次郎さんが、「『Wの悲劇』はアメリカ映画で、『早春物語』はフランス映画のようだ」とおっしゃっていたのを覚えています。
(第4回に続く)
【プロフィール】
編集者・映画監督・映画プロデューサー 角川春樹さん(80才)/角川春樹事務所代表取締役社長。出版界の風雲児として、数々のヒット作を生み出すかたわら、映画プロデューサーとして、1976年『犬神家の一族』を皮切りに、映画界に進出。角川映画として、『人間の証明』(1977年)、『野性の証明』(1978年)、『ぼくらの七日間戦争』(1988年)、『天と地と』(1990年)など70作を世に送りだす。2020年には監督作の映画『みをつくし料理帖』が公開。全人生を語った書籍『最後の角川春樹』(伊藤彰彦著/毎日新聞出版)でも『角川映画』誕生秘話を明かしている。
映画宣伝プロデューサー 遠藤茂行さん(68才)/東映にて角川映画『戦国自衛隊』(1979年)を皮切りに、『セーラー服と機関銃』(1981年)、『探偵物語』(1983年)、『Wの悲劇』(1984年)など数々の話題作の宣伝を手掛ける。東映作品として『ビー・バップ・ハイスクール』(1985年)、『バトル・ロワイアル』(2000年)、『GO』(2001年)ほか数々の作品に宣伝、企画、製作などとしてかかわる。現在も映画プロデューサーとして活動する傍ら、ダンス・芸能専門学校『東京ステップス・アーツ』で講師を務める。
取材・文/廉屋友美乃
※女性セブン2022年3月17日号