1993年、衆議院議員に初当選。その後、郵政大臣、総務大臣、女性活躍担当大臣、マイナンバー制度担当大臣、幹事長代行などを歴任
──男社会の論理に過剰適応してしまう女性議員が少なくない。
「残念だけど、国民よりも、特定の支持団体のほうを向いてしまうんですよ。党内の会議でも彼女たちは選択的夫婦別姓の反対を表明する時、『ペーパー』を読みあげているから、誰かの意見を代読させられている感じ。あれはあれで事情があるんだと思います。
選挙になると、極めて保守的な団体から全国会議員に、賛成したら落選運動をしますという話が堂々と来るんです。ギリギリで当選できている人たちからすると、やっぱり踏み絵を踏んじゃいますよね」
──この連載の第2弾(週刊ポスト4月1日号)では、稲田朋美さんも自民党内で女性やLGBTの待遇改善に力を入れたら、極めて保守的な勢力から攻撃されたという悩みを明かしました。野田さんは、稲田さんの現在をどう見ていますか。
「稲田さんは、支持母体の保守系団体から相当嫌がらせを受けていましたね。支援者から『あなた、嫌い!』って急に言われるのはつらいと思いますよ。彼女は安倍(晋三)さんの掲げるイズムの具現者だったけど、安倍さんは夫婦別姓反対で専業主婦礼賛の人だから、彼の路線をまっすぐ踏襲しなかったことで、安倍さん支持者に嫌われちゃったっていう感じかな」
──稲田さんは総理レースから完全に消えた?
「安倍さんのナンバーワンではなくなっちゃったのかもしれません。もう少し頑張れば、もっと骨太な政治ができるんだけど、結局は振りきれない感じを与えてしまったのかもしれませんね」
──野田さんは他の女性議員のようになぜなびかなかったのでしょう。
「私も選挙は強いほうじゃなかったし、おじさんのまねをして背伸びしていたけど、自分の信念には正直でいたいという強がりがあった。まあ、上の意向に造反しては地元の人たちに怒られて、面倒だから上に嫌われることをするなって言われ続けた30年でした」
──2005年に郵政民営化に反対して一時期、無所属になりましたが、一年生の頃にも造反した。野党だった自民党が社会党の村山富市氏を首班指名して連立政権を打ち立てた際、野田さんは自民党を離党した海部俊樹・元首相に入れました。
「おかしいと思いました。日の丸、君が代、天皇、自衛隊、みんなダメって言っていた社会党は昨日まで敵だったはずなのに、自民党の政権復帰のために組むと言い出した。何の説明責任も果たさずに」
──造反すると制裁があるんでしょうか。
「当時の自民党には女性代議士が田中眞紀子さんと私の一年生議員2人しかいなくて、村山富市と書いた眞紀子さんは科学技術庁長官で初入閣。で、私は謹慎になりました」