急いで家に取りに戻ろうと、めっきり動きが悪くなった足を必死で動かして、やっとマンションに着いてエレベーターを待っているときに、ふとバッグに目をやると、えっ! 入館証の端がチラッと見えているではないの!! もう、こんなムダ足、カラ足ばっかよ。
で、冒頭のバスに置き忘れた財布が幸運にも交番に届けられていてホッとした翌々日のこと。夜の7時過ぎ、マンションのロビーで、品のいい小柄な老女から声をかけられた。
「あの〜、トイレはどこですか?」と言ってもじもじしながら、「自分の家がわからなくなってしまって」と、すがるような目で私を見る。
私が住んでいるマンションは若い子育て家族がほとんどで、ごく少数の高齢者が上の方の階に住んでいる。上の方に住んでいる人はほとんど、マンションが建つ前、ここに家があった人だ。身なりのいいこの人は上層階の住人かも?と思い、集合ポストに連れて行った。
「このマンションにお住まいでしょ? お部屋番号、覚えていますか?」と尋ねたが、老女は小首を傾げ、「思い出せない。やだ、どうしましょう」と不安に不安をのせたような顔で私を見るんだわ。
さらに、「あの、それより……トイレはないでしょうか」と言うの。数か月前まで介護で母親のシモの世話をしていた私は、そこで観念したわよ。
「じゃあ、とりあえずうちのトイレを使ってもらうけど、部屋がすごく散らかっていて大変なことになっているの。それでもいいですか?」と聞いたら、「お世話になります」とペコンと頭を下げられちゃった。
用を足してトイレから出てきた彼女は、また小首を傾げている。何か思い出したか? わが家の大変なぶっ散らかりようを興味深そうに見ているこの老女をどうしたものか。