信念を貫き、新たな時代を作り上げる
活動休止から復帰すると、新たなコンサートの演出に挑戦し始める。
「コンサートにお客さんを動員するために、ステージで派手な演出をするようになりました。本物のゾウをステージに上げたり、4tもの水を一度に流すこともありました。すごいスケール感ですよね」
アクの強い演出には否定的な声もあったが、ユーミンは歌が売れなくても、批判されようとも“道は開ける”と、自分の信念を貫き通したという。
「派手な演出は次第に評判を呼び、いつしかコンサート会場は満員になりました」
その後、1981年に角川映画『ねらわれた学園』の主題歌として『守ってあげたい』が起用され、69万枚以上を記録。これで第2次ユーミンブームが起こる。新曲を出せば注目される状況になったにもかかわらず、ユーミンは呉田軽穂というペンネームで松田聖子(60才)の『赤いスイートピー』(1982年)や、薬師丸ひろ子(57才)の『Woman“Wの悲劇”より』(1984年)を手がける。
こうして、楽曲提供者としても日本の音楽シーンに欠かせない存在となったユーミンは、1980年にリリースしたアルバム『SURF&SNOW』で、後に大ブームを起こすことになる。その立役者となったのが、ホイチョイ・プロダクションズの馬場康夫さんだ。
馬場さんは同アルバムに収録された『雪だより』を聴き、映画の構想を思いついたという。
「ユーミンの曲は、一曲聴くだけでひとつの映画が思い浮かぶ。冒頭に出てくる“赤いダウンに腕をとおしたら”というキーワードだけで、スキー好きはシビレるんです。というのも、これが出た1980年代はスキーブームが来ていて、イケてるスキープレーヤーは、フランスのブランド『モンクレール』の赤いダウンを着ていたから、イメージが重なるわけです。そのほか、“エッジのキズを息かけてみがく”とか、もうスキー好きにはたまらないフレーズがあって、この曲の歌詞を企画書に書いて、映画『私をスキーに連れてって』(1987年公開)をフジテレビに持ち込みました。それを若い社員たちが面白がって、映画化が実現したんです」(馬場さん)
(第3回につづく)
取材・文/廉屋友美乃
※女性セブン2022年5月12・19日号