北条氏の氏寺である願成就院。境内には初代執権・時政の墓もある(撮影/太田真三)
《安千代という子どもは一般の歴史書には出てこないため、実在したかどうかは定かではありません。しかし、江間の各地に共通して伝わる義時と大蛇の話は、この地で起こった事件と、それに立ち向かう義時の姿を伝説の形で語り伝えたものでしょう》(前出の『北条家 歴史散策マップ』より)
義時の長子が実在し、幼くして落命する悲劇が起きなかったら……。三代執権はこの“兄”が就いていた可能性もあっただろう。泰時が制定した日本で最初の武家法典「御成敗式目」も生まれず、鎌倉幕府の歴史は大きく変わっていたかもしれない。