「M-1グランプリ」で一躍スターダムの仲間入りを果たした(写真は2016年大会時)
「今の世代はナイチャーへの偏見はない」
そうした厳しい母を持つ内間だが、沖縄でピン芸人として活動していた頃はまったくウケず、一念発起して2002年に東京行きを決断する。当然、母が賛成するはずもなく「最初は反対されましたよ。とにかく『東京は危険だ』って」(内間)と言われたという。それは真栄田も同じだった。その考えの背景にもやはり戦争体験の影響が色濃く残っているようだ。
「あの世代は『ナイチャー(沖縄県外の日本人)は恐ろしい』とよく言ってましたよ。沖縄戦では、米軍より日本兵に酷いことをされたと話す人もいた。避難場所のガマ(自然洞窟)に隠れてたら味方のはずの日本兵に追い出されたり、食糧を奪われたり。さすがに今は世代も代わってナイチャーへの偏見もなくなりましたよ。結局、人によるから。嫌なウチナーンチュ(沖縄人)もいるし(笑)」(真栄田)
真栄田は「沖縄の色々な問題を解決するためにまずできることは、『今日どんなねぇ? 疲れてるんじゃない?』って気持ちを聞いてあげることだ」と語る。
「沖縄は美しい」という嘘
「沖縄には自分のことを話すのが苦手な子供が多いんだと思います。自分の感情を聞いてくれる人がいなくて、抑圧されているからでしょうね。僕は闇営業で無期限謹慎になった時、沖縄の飲み屋で知らないおじいちゃんに『あんたはがんばっているよ』と慰められて救われた。そういう経験が必要なんだと思います。
あと沖縄には、『年上の言うことは絶対』という考え方が根強いけど、僕はこれには反対で。だって、内間のお母さんみたいに親も苦しんでるから。先生や先輩だってそうだよ。大人も色々悩んでる。沖縄には、生活が苦しかったりして、子供の感情やSOSにまで気が回らなくなっている大人がたくさんいますからね」(真栄田)
さらに真栄田は、沖縄を“美化”しすぎる社会へのいらだちがあると言う。
「『沖縄は美しい』と言う人ばかりだけど、そんなの嘘だよ。こんなに問題があるのに、表面だけ見て何を言ってるんだと。まずは、ひとりずつが隣の人の感情を聞く。そしたら少しずつ沖縄にも愛が満ちていきます」
そう語る真栄田に対して、内間は「(内向的だった性格を)僕は真栄田さんに解放してもらえてラッキーでした」と感謝の気持ちを語った。ともに沖縄で生まれ、出逢うべくしてコンビを組んだ2人。これからも、“沖縄代表”の芸人として様々な問題についてユーモアたっぷりと、それでいて毅然と社会風刺を忘れないネタを披露してくれることだろう。