ライフ

コレラと戦ったロンドンの労働者階級出身の医師ジョン・スノウの偉業

医師ジョン・スノウの功績とは(イラスト/斉藤ヨーコ)

医師ジョン・スノウの功績とは(イラスト/斉藤ヨーコ)

 新型コロナウイルスはもちろん、人類は様々な感染症とともに生きていかなければならない。白鴎大学教授の岡田晴恵氏による週刊ポスト連載『感染るんです』より、前回に引き続き、ウクライナで流行が危険視されている「コレラ」についてお届けする。

 * * *
 1848年、コレラが流行しているハンブルクからドイツの汽船エルベ号がロンドンに入港しました。その1週間後には周辺一帯にコレラが拡大し、収束する2年後までに5万人が犠牲となりました。

 この詳細な報告書をロンドンの開業医ジョン・スノウは食い入るように読み込み「コレラは被害者が摂取した未確認媒体によって引き起こされる病気であり、患者の排泄物に直接接触するか、それ以上に考えられるのは排泄物で汚染された飲料水を通じて伝染する」という自説を打ち立てます。しかし、当時の医学界の常識は「あらゆる臭いは病気である。臭いが強烈であればあるほど急性の重い病を引き起こす」という瘴気説で、スノウの論は医師らから強烈に否定されました。

 1854年、ふたたびロンドンをコレラの流行が襲います。患者発生の相次ぐソーホー地区で、スノウは患者の発生状況と飲み水を中心として徹底的な聞き取り調査を行ない、死者と給水ポンプの場所を示した「感染地図」(THE GHOST MAP)を作り上げます。これによって、コレラ患者の下痢による排泄物が汚水溜めから地下に浸透し、井戸水を汚染。その伝染性の粒子(コレラ菌)が飲料水に混じって、人に飲み込まれることでコレラを起こすことを明らかにしたのです。ロベルト・コッホのビブリオ・コレラの同定による病原体発見(1883年)に遡ること約30年前の偉業です。スノウは問題の井戸のポンプを外すことを提案し、その地域のコレラの流行を食い止めようとします。

 しかし、彼の説自体が認められるのは1858年の夏の猛暑によるロンドンの大悪臭において、疫病死亡者数に変化がなかったという人口動態統計学者のデータが出てからとなります。この朗報を待たずにスノウは脳卒中で亡くなっていました(享年45)。

 スノウはヨークシャーの労働者の長男として生まれ、14歳で外科医の見習いとなり、炭鉱内でのコレラの集団感染を経験します。労働者の劣悪な労働・衛生環境がコレラの流行に関与すると実感し、ロンドンの医学校に入学、薬剤師と外科医の免許を取って開業。さらに上級学校を目指しロンドン大学の医学士を取得、医学博士の試験にも合格。エーテルとクロロホルムの麻酔にも精通して、1853年、ビクトリア女王の陣痛緩和の麻酔科医にも指名されました。類稀な能力と情熱、そんな彼が最後に向き合ったのが激甚な被害を出すコレラの惨禍でした。

 ピカデリー・サーカスから歩いて数分の場所に、スノウが流行の起点とした井戸の跡があります。彼の名前を冠したパブがあり、その側の歩道の赤いグラネイト石の縁石が井戸のポンプがあった場所です。私はロンドンを訪れる度にここに詣でて“死神が取り付いた井戸の取手を外せ”と訴えた彼を思うのです。

【プロフィール】
岡田晴恵(おかだ・はるえ)/共立薬科大学大学院を修了後、順天堂大学にて医学博士を取得。国立感染症研究所などを経て、現在は白鴎大学教授。専門は感染免疫学、公衆衛生学。

※週刊ポスト2022年8月19・26日号

ジョン・スノウの偉業

ジョン・スノウの偉業

関連キーワード

関連記事

トピックス

上原多香子の近影が友人らのSNSで投稿されていた(写真は本人のSNSより)
《茶髪で缶ビールを片手に》42歳となった上原多香子、沖縄移住から3年“活動休止状態”の現在「事務所のHPから個人のプロフィールは消えて…」
NEWSポストセブン
ラオス語を学習される愛子さま(2025年11月10日、写真/宮内庁提供)
《愛子さまご愛用の「レトロ可愛い」文房具が爆売れ》お誕生日で“やわらかピンク”ペンをお持ちに…「売り切れで買えない!」にメーカーが回答「出荷数は通常月の約10倍」
NEWSポストセブン
王子から被害を受けたジュフリー氏、若き日のアンドルー王子(時事通信フォト)
《10代少女らが被害に遭った“悪魔の館”写真公開》トランプ政権を悩ませる「エプスタイン事件」という亡霊と“黒い手帳”
NEWSポストセブン
「性的欲求を抑えられなかった」などと供述している団体職員・林信彦容疑者(53)
《保育園で女児に性的暴行疑い》〈(園児から)電話番号付きのチョコレートをもらった〉林信彦容疑者(53)が過去にしていた”ある発言”
NEWSポストセブン
『見えない死神』を上梓した東えりかさん(撮影:野崎慧嗣)
〈あなたの夫は、余命数週間〉原発不明がんで夫を亡くした書評家・東えりかさんが直面した「原因がわからない病」との闘い
NEWSポストセブン
テレ朝本社(共同通信社)
《テレビ朝日本社から転落》規制線とブルーシートで覆われた現場…テレ朝社員は「屋上には天気予報コーナーのスタッフらがいた時間帯だった」
NEWSポストセブン
62歳の誕生日を迎えられた皇后雅子さま(2025年12月3日、写真/宮内庁提供)
《愛子さまのラオスご訪問に「感謝いたします」》皇后雅子さま、62歳に ”お気に入りカラー”ライトブルーのセットアップで天皇陛下とリンクコーデ
NEWSポストセブン
竹内結子さんと中村獅童
《竹内結子さんとの愛息が20歳に…》再婚の中村獅童が家族揃ってテレビに出演、明かしていた揺れる胸中 “子どもたちにゆくゆくは説明したい”との思い
NEWSポストセブン
日本初の女性総理である高市早苗首相(AFP=時事)
《初出馬では“ミニスカ禁止”》高市早苗首相、「女を武器にしている」「体を売っても選挙に出たいか」批判を受けてもこだわった“自分流の華やかファッション”
NEWSポストセブン
「一般企業のスカウトマン」もトライアウトを受ける選手たちに熱視線
《ソニー生命、プルデンシャル生命も》プロ野球トライアウト会場に駆けつけた「一般企業のスカウトマン」 “戦力外選手”に声をかける理由
週刊ポスト
前橋市議会で退職が認められ、報道陣の取材に応じる小川晶市長(時事通信フォト)
《前橋・ラブホ通い詰め問題》「これは小川晶前市長の遺言」市幹部男性X氏が停職6か月で依願退職へ、市長選へ向け自民に危機感「いまも想像以上に小川さん支持が強い」
NEWSポストセブン
割れた窓ガラス
「『ドン!』といきなり大きく速い揺れ」「3.11より怖かった」青森震度6強でドンキは休業・ツリー散乱・バリバリに割れたガラス…取材班が見た「現地のリアル」【青森県東方沖地震】
NEWSポストセブン