準決勝で惜しくも敗退となった近江の「エースで4番」だった山田(時事通信フォト)
近江・山田陽翔の644球の評価は
今大会で個人として目立ったのはむしろ、悲運のヒーローだ。滋賀・近江のエースで4番、主将も務める山田陽翔である。
今夏は雨による順延が一度もなく、3回戦終了の翌日、準々決勝の翌日、準決勝の翌日をそれぞれ休養日に充てられた。連戦を強いられた学校はなく、猛暑に見舞われたとはいえ例年に比べれば投手の負担は少なかったはずだ。それでも準決勝に進出した時点で、山田に疲労の色は隠せなかった。
山田は1回戦から、準決勝の下関国際戦で途中降板するまで644球を投じた。ちなみに、仙台育英は同じ5試合を5投手で計728球である。準々決勝の香川・高松商業戦では、右脚の太ももが痙ってしまい8回に緊急降板。そして、2対8で敗れた準決勝では自ら交代を申し出るまでマウンドに立ち続けた。
山田はベスト4に進出した昨夏は全5試合に先発し、コロナ禍によって出場を辞退した京都国際の代替で挑んだセンバツでは、準決勝の途中で足をケガしながらも、大阪桐蔭戦で途中降板するまでマウンドを守り続けた。近江の多賀章仁監督は、いずれも山田の意思を確認し、山田が降板を自ら申し出るぐらいでなければ、マウンドに送り続けた。
甲子園通算10勝、歴代単独3位となる115奪三振は立派な数字だ。
エースたるもの、酷暑のなか、いかにケガのリスクがあろうとも、仲間のためにもマウンドに上がろうとする。だが、疲労が蓄積し、ケガや足がつった状況でもマウンドに立とうとする手負いの投手を、時には本人の意思に関係なく「起用しない」選択を下すのが、山田のような将来のある選手を預かる指揮官の責任であろう。その観点では、多賀監督の采配をどう評価すべきだろうか。
近江は「山田のチーム」と呼ばれた。確かに投打の要で主将だが、その言葉は山田との「心中」の選択しかできない多賀監督を揶揄する言葉に聞こえてならなかった。データを駆使し、投手をローテーションで回すという革新的な野球を貫いた仙台育英の須江監督に対し、近江の多賀監督はかなり旧時代的に映る。
「もう、甲子園に怪物は生まれない」
8月1日に出版した『甲子園と令和の怪物』(小学館新書)において、私はそう書いた。3年前の夏、岩手大会決勝で佐々木朗希を「ケガのリスクがあるから」という理由で大船渡の國保陽平監督は起用しなかった。この英断をきっかけとするように、怪物エースがひとりで大会を投げ抜くようなことはなくなり、監督がエースと心中するような学校も消えてなくなり、複数の投手による継投でしか勝ち上がれない時代に突入すると指摘した。
須江監督率いる仙台育英が貫いた野球こそ、令和時代の高校野球だ。